私は休み時間、会社の屋上へ行くことがあります。
やはりね、毎日仕事をしていると、気がめげる時があるんですよ。
そんな時、無意識に階段を上って最上階へ行き、屋上へ通ずるドアを開いています。
ドアの建て付けが悪いのか、強風だからか分かりませんが、半分の確率でしかドアが開いてくれません。
蛍光灯が壊れているので、そこは真っ暗。
気分が滅入っているのに、更にドアがすんなり開いてくれないと更に落ち込みます。
ガチャガチャとドアノブを回している最中、ふいにドアが開く時があります。
体を一歩前に出すと、そこには眩しい日差し。
今日みたいな良いお天気の日なんて、とても最高です。
ここは都心なのに、まだ雪が積もった遠くの山まで綺麗に見えるんですよ。
ちょっとぐらい嫌なことがあっても、遠くまで続く景色、降り注ぐ太陽、顔を撫でていく風、そして街の音が、私の心を癒してくれます。
街の音って何でしょう。
屋上にて耳を澄まして聞こえてくるのは、「ゴー」という、いろんな音が混じって出来た音。
空気の塊が渦を巻いているような感じです。
あまり綺麗な音ではありませんね。
「雑踏」という言葉があります。
その文字から感じ取れるイメージは、ゴミゴミとした都会。
肺一杯には吸いたく無い空気、大きく手を振って歩きたくても前と後ろの人にぶつかりそうなぐらい密集した世界。
日々の生活に追われ、表情も曇りがち。
けれどね、「様々な人が地面を踏みつける音」と解釈すると、何か別のイメージにもとれるんです。
地面を踏みつけ、一生懸命歩いて営業をする人もいるでしょう。
地面を踏みつけ、一生懸命スポーツをする人もいるでしょう。
地面を踏みつけ、一生懸命田畑を耕す人もいるでしょう。
そういう、一人一人の地面を踏みつける音の集合体が「雑踏」だとすれば、これほどアクティブで、熱いものはありません。
私が屋上で聞いた、「ゴー」という音は、街の中で生きる人々が踏み出す音の集合体なのだと思います。
屋上で青空や自然の景色を観ると癒されます。
反面、耳に入ってくる雑踏が、私の心を興奮させてくれます。
屋上にいる間、私はその雑踏の中には参加せず聞いている、ただの社会の傍観者です。
さて、私もそろそろ屋上を降り、一生懸命地面を踏みつけに出ようと思います。
2002年1月にこのサイトを始めました。
まだblog形式ではない、ただの日記帳みたいなものでした。
その2002年3月の過去ログが、冒頭の日記です。
下手糞な文章だけれど、今の自分のサイトなんかより、よっぽとマトモな事ばかり書いていました。
その当時の自分が、今の自分を見たら、何と思うだろう・・・。
何も進歩していないと云うか、退化しているかも。
結局、今の自分は、ただの社会の傍観者でしかないような気がします。
まだ、一生懸命地面を踏みつけていません。
色んな事がひと段落した今、そんな事を思っています。
来年に向けて具体的な事がまとまりつつあるのですが、昨日より部屋の大掃除をしました。
いつも書いているとおり、私はモノで溢れかえっている部屋が嫌いなので、あまりモノを所有していません。
それでも、モノは微増するし、以前は必要だと思われたモノでも、今は不要なモノがたくさんある。
それらを整理していました。
スッキリした部屋で、新たな目標へ歩みたいと思います。
今年後半、「学習する」「暗記する」と云う事の日々でした。
そのせいでしょうか、それらが楽しくなってきたんですよね。
テレビとか観ていても、何のプラスにもならない。
せいぜい、このサイトのネタ程度ですよ。
なんだか、道の真ん中を自分の足で歩いていないような人生だったのですが、それが最近、嫌になってきたと云うか、変わりたいなあと思ってきました。
来年は今年以上に、学ぶ事に重点を置きたいと思っています。
自分の足で、思いっきり地面を踏みつけて前へ進むつもりです。
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