2005年11月16日

映画「仮面ライダー THE FIRST」の感想【2】

前回の続き

前回の記事:映画「仮面ライダー THE FIRST」の感想【1】
http://kanzaki.sub.jp/archives/000779.html

今回は、ストーリーやキャラクターについての感想です。

お話しのメインは、主人公・本郷猛、ヒロイン・緑川あすかの恋愛エピソードです。
緑川あすかは、自分の婚約者を本郷猛が殺したと信じ込み、憎しみを向けます。
そして、自分を怪人から助けた仮面を被った男(仮面ライダー)には好意を寄せます。
憎しみの情念を向けられている本郷猛としては、仮面を被ることでしか、彼女の前に立てない訳です。
そんなところにもう一つの燃料投下。
緑川あすかの婚約者に瓜二つの一文字隼人が登場。
ショッカーの上層部から本郷猛の抹殺を命じられている一文字隼人は、緑川あすかに恋をしてしまいます。
本郷猛と一文字隼人は敵同士であるけれど、緑川あすかという女性を間に通し、いつの間にか共闘し、ショッカーに立ち向かいます。
今回のお話しは、社会を恐怖に落としこめるショッカーの悪巧みから世界を守るヒーローのお話しではありません。
あくまで、個人的な目的=緑川あすか=美しいものを守るのが本郷猛の目的なのです。
最初は、ショッカーの手先として働いていた本郷猛=ホッパー=仮面ライダー1号は、空から舞い落ちる雪の結晶の美しさで我を取り戻します。
本郷猛は、改造手術を受ける以前、雪の結晶についての研究をしていたのです。
雪の結晶=美しいものと云う説明があったお陰で、「何で、たかが雪を見ただけで自我を取り戻すんねん!」と云うツッコミを感じませんでした。
逆にそのシーンを美しいとさえ思いました。
冒頭の短時間で、悪の手先から正義のヒーローにキャラクター属性が上手く切り替える事が出来てお見事だと思いました。
THE FIRSTの本郷猛は、とてもナイーブなキャラです。
演じた黄川田将也さんと、元祖である藤岡弘、さんでは対極的です。
漫画では黄川田将也さんの方がイメージとして近いのですが、昔のテレビ版を懐かしむ人にとってはどうなんでしょうね。
今回のストーリー展開からすれば、黄川田将也さんは、まさにうってつけでした。
本郷猛はナイーブな性格なので、表面にあまり感情を出さないし、ストーリーも彼一人では進みません。
そこで、一文字隼人の登場ですよ。
脚本家の井上敏樹さんは、こういうアンチテーゼ的なキャラを使うのが得意ですよね。
そういうキャラを使い、他のキャラクターの心を揺り動かします。
今回の一文字隼人を演じた高野八誠さんは、ウルトラマンガイア、仮面ライダー龍騎にも出演されていたので、平成の特撮作品ファンには御なじみの顔です。
彼の演じた一文字隼人の行動って、本郷猛と対極。
云ってみればチンピラみたいなもの。
けれど劇中でも「俺っていい奴かも」と自分で云っているぐらい、実は純粋でストレートな心なのです(敵の組織の怪人ではありますが)。
演じ方は、ドラマ「タイガー&ドラゴン」にて、長瀬智也さん演じる山崎虎児みたいだなあと思いました。
ちょっと古臭い昭和時代のチンピラみたいな感じなのですが、あれぐらいオーバーな演技の方が、本郷猛とキャラの区別がついて良いかも。
今回の脚本、なんだか意図的に昭和テイストなアクションも多かったのですが、恋愛パートも昭和テイストでした。
例えば、緑川あすかが、死んだ婚約者から貰った指輪をお酒の入ったグラスの中に落としたり、そんなあすかにナンパを仕掛ける一文字隼人の口説き方もまた昭和っぽい感じでした。
この映画は平成作品だし、時代設定も現代なのに、なんとなく全体的な雰囲気は昭和なんです。
劇中、平成らしい近代的なアイテム、撮影場所をあまり使っていません。
だから、時代設定は昔なんだよと云われても不思議じゃありません。
THE FIRSTと名が付くぐらいですし、見る側の年齢もある程度上の方を設定しているので、こういうのもアリだと思います。
ただ、贅沢を云わせて貰えば、パッと見た感じ、ヒロインがあまりにも色んな男にフラフラしすぎな感がありました(劇中でも、自分を軽い女みたいに云っていますが)。
婚約者が死んだばかりなのに、本郷猛、一文字隼人、仮面の男に好意の感情を向けすぎ。
できれば、本郷猛に対する憎悪をもっと強調して欲しかったです。
コブラとスパイダーと云う敵のキャラクターの恋愛模様にも時間を割かなければいけなかったので、深く描けなかったのかなあ。
けれど、劇場版・響鬼に比べれば、本郷猛、一文字隼人、緑川あすかのメインキャラが、ちゃんと話しの最初と最後で感情の変化があったのは良かったと思います。
そして終始「美しいものを守る」と云う行動原理が貫かれているのも素晴らしいと思います。
感情の変化の無いストーリーなんて、ドラマとして意味が無いですからね。

「仮面ライダー555」と云う作品は、主人公側だけでなく、敵側にもそれなりに複雑な事情があるんだよと、敵側の心の葛藤も主人公サイドと同じぐらいの比重で描いていました。
今回のTHE FIRSTも、コブラとスネークと云う敵側の怪人の悲哀を描いていました。
尺の短い映画なので、いっその事、こちらのエピソードをカットして、主人公側を深く掘り下げて欲しいとも思いつつも、かえって、主人公側の恋愛よりも、こちらの恋愛模様の方が悲劇的で良かったなあと思ったり。
ウエンツ瑛士さん演じる三田村晴彦(どうしても、俳優の三田村邦彦を連想してしまう)、小林涼子さん演じる原田美代子(こんな名前の女優さんもいたような。原田美枝子?)。
病気で自暴自棄になっている三田村晴彦。
それを献身的に見舞う原田美代子。
美代子の行為に対し、いつも三田村は反抗的な態度を取ります。
原田美代子って明るいキャラなのですが、ちょっと不思議っ子。
「〜してちょ」とか、ドクタースランプのアラレちゃんみたいな言葉を使うのが、ちょっと昭和的なのですが、これって脚本段階からそうなのかなあ。
この二人のやりとりは、主人公・本郷猛を中心としたエピソードと交互に語られていきます。
それも、主人公側と同じぐらいの分量で。
途中まで、なんでこんなに時間を割くのか不思議で仕方がありませんでした。
主人公たちと全く接点が無いし。
まさかこの二人が、コブラとスネークに改造されちゃうなんて・・・。
一応、映画上、コブラとスネークの正体はこの二人なんですよと云うのは、二体の怪人がライダーにやられた際、マスクを外して分かるサプライズだったんでしょうね。
でも、殆どの人たちがかなり早い段階で、「コプラとスネークって、あの二人なんじゃね?」と思ったんじゃないでしょうか。
私は、コブラが最初にアクションをする際の掛け声で、「あっ、ウエンツだ」と思いました。
スネークの方は、マスクの下半分が素顔なので、あの口、顎、頬はどう見ても小林さんだろう、スーツアクターっぽい感じじゃないもん、と思いました。
ウエンツ瑛士さんはバラエティー番組のイメージが強かったのですが、この映画を見て、めちゃくちゃ演技が上手い事を知りましたよ。
自暴自棄になっている少年が、やがで一人の女性の愛によって性格が明るくなっていき、最後は相手を献身的に思うまでの心情の変化を本当に上手く演技されていました。
一方、小林さんは、スネークの出演シーンの3分の2を自分で演じるほどの凄さ。
なんでも、バレエをやっていたとか。
あの軽やかな身のこなしは、そのせいだったんですね。
この二人は、主人公側と同じぐらいの分量で語られているのですが、その語り方が実に斬新でした。
普通、二つのエピソードを交互に語る場合、二つのエピソードの時間軸は同じなのが定石です。
つまり、一つのエピソードが2005年11月16日13時の話しならば、もう一つのエピーソードも2005年11月16日13時とほぼ同時刻・・・少なくとも同じ日を語るはすです。
しかし今回の映画の場合、本郷猛のエピソードは現在2005年のお話しですが、三田村晴彦と原田美代子のエピソードは一年前・2004年のお話しなのです(病院のカレンダーに2004年と記載されている)。
交互にストーリーが展開するのに、時間軸は違っていると云うのは、とても高度な技なのではないでしょうか。
そして、三田村晴彦と原田美代子がデートをしている最中、原田美代子が突然倒れてしまう。
それを偶然、緑川あすかが発見する。
そんな一年前のエピソードを一文字隼人とデート中の緑川あすかが、その現場にたまたま立ち寄って思い出す。
ここでようやく、三田村晴彦と原田美代子のエピソードは一年前の事だと分かります。
けれど、過去のエピソードだと分からなかった人もいたかもしれません。
まあ、分からなくても特に支障は無いですしね・・・三田村晴彦と原田美代子の前に、花束を持ったスパイダー(板尾創路さん)がやってくるのを見て、「ん? スパイダーってさっき、1号ライダーに倒されたような???」と疑問は持ってしまうかもしれませんが。
これは一年前のストーリーですと、ちゃんとテロップがあれば良いのですが、こういう分かりにくくしたのは、ひょっとしたら意図的なのかもしれません。
三田村晴彦と原田美代子のエピソードは、なんとなく「世界の中心で、愛をさけぶ」的な感じでした。
重病を患い自暴自棄の三田村晴彦。
それを見舞う謎の少女・原田美代子。
しかし、そんな彼女に対して開く言葉は、いつも嫌味なことばかり。
途中、三田村が病院から脱走しようとしたのだけれど、結局、行く宛所も無いことに気づき辛い思いをしていると、自分の首に巻いている赤いマフラーの毛糸が一本、ほつれて長く伸びている事に気づく。
その赤い毛糸の先を原田が掴んでいた。
「赤い糸で結ばれた運命だね」みたいな言葉を掛ける原田。
そんな彼女に抱きつく三田村。
現実が怖かったんだね。
それを受け止めてくれる人がいなかったんだね。
ようやく、彼はそれを見つけることが出来た。
あのシーンは、普通の恋愛ドラマにヒケをとらない名シーンでした。
三田村の巻いていた赤いマフラーって、仮面ライダーの赤いマフラーを意識しているのかな?
確かに、少し事情が違えば、コブラとスネークである三田村晴彦と原田美代子が主人公になっていたかもしれません。
心を開いた二人はデートをする。
しかし、そのデートの最中、原田は倒れてしまう(そこに偶然、緑川あすかが出くわす)。
実は、原田美代子もまた、不治の病に犯されていた(同じ病院の患者)。
それなのに、自分を献身的に見舞ってくれていた事に気づき、三田村は優しく接する。
しかし二人の病は治らない。
「世界の中心で、愛をさけぶ」のような純愛物語ならば、片方が死んで、もう片方はその思いを胸に秘めて強く生きていくところでしょうが、これは特撮映画。
そこに、スパイダーが現れ、二人をショッカーへ連れて行くのでした。
二人がショッカーの基地で、花の種を巻いているエピソードがありましたね。
原田は「もう一回手術すれば治る」みたいな事を話していましたが、あれは怪人への改造手術だったんですね。
二人が手をつないで、基地内の暗く深いトンネルを歩いて消え去っていくシーンは、この二人の将来を暗示して、何とも辛いシーンでしたね。
二人は怪人となり、仮面ライダーと戦い、破れて死にます。
せつないねえ・・・。
仮面ライダー1号・2号と、ゴブラ・スネークとの間には全く交流を深めるようなエピソードはありません。
ただ戦うだけ。
もし、何かしら人間体で交流があれば、コブラとスネークも正義の味方になっていたかもしれませんね。
しかし、そういう奇麗事をせずに殺したからこそ、悲哀や皮肉みたいなものを感じたのかもしれません。
コブラは死ぬ間際、昔の自分の記憶が戻ります。
それは、スネークの死体が横たわる横に、一年前に巻いた花が咲いていたのを見つけたからです。
本郷猛も、空から舞い落ちる綺麗な雪な結晶を見て我を取り戻したように、三田村もまた、花の美しさで我を取り戻したのです。
通常のお子様向け特撮作品ならば、「美しいものを愛する心」を「敵を倒すための力or必殺技の原動力」にするのでしょうが、今作品では、心の変化に使っていたところが良かったと思います。
よくよく考えてみたら、ショッカーと云う組織は、見方を変えれば、かなり良い組織かも。
だって、現在の医療技術では治せない二人の男女を怪人とは云え、常人以上の肉体にしてくれたのだから。
そういや、一文字隼人がショッカーの幹部に、「本郷猛を倒す報酬に緑川あすかを俺にくれ」と云ったら、承諾してくれましたよね。
なんかショッカーって、ただの悪い組織ではなく、「悪の美学」みたいなものがあるのかもしれませんね。

他にもいろいろと語りたい事があるのですが、とりあえずメインキャラの事で終わらせたいと思います。
次に書くのは、DVD発売orスカパーでのオンエア時になるかと。
複数回見ると、また違った発見があるかもしれませんしね。

とにかく演技だけでなく、脚本製作の段階から凝った内容になっていますので、是非、見てもらえたらと思います。
これだけネタバレを書いておいてなんなんですが・・・。

Posted by kanzaki at 2005年11月16日 22:52 | トラックバック (1)