世の中、「勝ち組み」と「負け組み」なんて云う言葉が普通に使われています。
あれって、自分を負け組みと思っている人が、明るく自虐的に使っていたのが最初ではないでしょうか?
あまり勝ち組みの人が、自ら「勝ち組みです」なんて云わないものね。
どうも、「勝ち組み」と云う言葉があまり好きでありません。
なくとなくその言葉からイメージされるのが、自分の努力ではなく「血縁」によって、既に敷かれたレールの上を走って得たもののように私には感じるからです。
じゃあ、私が「勝ち組み」に似たような言葉で好き・・・と云いますか、受け入れられる言葉の表現と云いますと、「成功」「成功者」です。
こちらは、自分の努力や周囲の応援の中で得た結果を表すように感じ取れるからです。
まあちょっと、その成功した後に「成金(なりきん)」のイメージがつきまといますけれどね。
「勝ち組み」に対応するのが「成功者」ならば、「負け組み」に対応するのは何だと思いますか?
一瞬、「失敗」「失敗者」を思い浮かべるかもしれません。
けれど違うと思います。
「成功」の反対は、「妥協」ではないでしょうか?
少なくとも失敗は、チャレンジをして成功するまでの過程のひとつに過ぎないと思います。
失敗は「結論」「最終地点」ではないのでは。
失敗しても練習したり鍛錬して、その先に成功があると思います。
最初から成功する人と云うのは、まず殆どいません。
他人から見てそう見えた場合でも、実は人知れず必死に練習・鍛錬しているものですから。
成功する前に自らリタイヤするのを妥協と云うのではないでしょうかね。
失敗は恥ずかしくないけれど、妥協はちょっとねえ・・・。
けれど、自分の人生を振り返るに、様々な岐路での選択の殆どが、妥協だったように思えます。
その岐路に立った際、自分の能力以上のものを求めようと努力した事ってあったかなあ・・・無いな。
妥協と云うのは多分、岐路に立たされた際、自分の実際の能力を分析し、あまり無理をせずとも選択可能な方へ進み、尚且つ、「本人がそれに対して不本意な事」だと思っている状態だと考えます。
満足の行く選択で、しかも努力をあまりしなくても良いならば、不服になんて思わないでしょうから。
そんな人生を歩んできた私なので、人様に胸を張って「私は頑張ってこの栄光を勝ち得た!」「俺と同じようにやれば、絶対に幸せになれる!」とか云えません。
自信が無いんでしょうね。
また、そういう事を人様に堂々と云う事は、「何それ、自慢?」と思ったりもします。
そう思うのは、自分自身に対して卑屈になっているからだと思います。
人生の岐路に立った際、妥協せずに成功するには、やはり努力が伴わないといけないのでしょう。
それをしてこなかった自分が悪いのですけれどね。
なんだか、こういう事を考えていると、過去の選択ミスと妥協により、今後の人生は全て灰色みたいに思えてしまいます。
しかし、そこまで卑屈になることはありません。
今まで何度か岐路に立ったと云っても、所詮まだ若い頃の何も知らない人間の選択です。
間違ったり、妥協したって仕方が無い。
人が「若い時間」を過ごすのは、長い人生のほんの一瞬です。
人によって「若い時間」の定義は違うでしょうが、とりあえず25歳と仮定しておきましょう。
今じゃ80歳まで生きていてもおかしくない時代です。
そうすると、歳を食ってからの時間は55年間もあるのです。
人生の岐路なんてこれから幾らでもあります。
それならば今後の岐路で、妥協せず、成功するように努力していけばいいんじゃないかなあ。
そうすれば、良い歳を重ねていけると信じています。
まずは、今まで妥協する事で安住していた自分の性格を変えないといけませんね>俺
Posted by kanzaki at 2006年02月17日 12:35 | トラックバック (0)日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
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