2006年03月30日

高校教科書、来春から至れり尽くせり

●asahi.com:高校教科書、来春から至れり尽くせり
http://www.asahi.com/life/update/0330/002.html?2006

・ノートを取ろうとしない生徒には、書き込み式教科書を。教科書を開くことをしない場合は、漫画を載せて注意を引いてみる。来春から使われる高校教科書に、勉強嫌いの生徒を意識した教科書が登場する。進学校向けには、その学年を超えた学習内容が盛り込まれる教科書も少なくない。「学力の二極化は、もう止まらない」との声が教科書会社から出ている。

・「自由に考えなさいと言っても、分からない生徒がいる。本文に答えがあるから、探して埋める作業をさせ、『参加した』と感じてもらえればいい。先生の負担も軽減できれば」と、同社編集局国語部の廣井尚子副編集長は説明する。
「生徒がノートを取らないなら、教科書をノート代わりにしたらどうか」という意見が編集会議で出た。穴埋め式は問題集にもなる。教科書1冊で完結させようというアイデアだった。

・一方、「今回は、教科書のレベルを上げるための改訂だ」と話すのは数学Iと同Aでシェア1位の数研出版。出した6点中4点は、いずれも進学校中心の教科書で、大学入試でよく問われる応用的な問いを増やした。その中には、絶対値記号を含む方程式など従来は参考書レベルにしか掲載されていないものもある。

・「求人票は会社選びの第一歩。重要な情報が満載です」。来春、高校生が使う社会科の教科書に、ニート対策の一環として見開き2ページで詳細に高卒用求人票を説明した記述が登場した。「有給休暇」や「基本給」という用語を説明し、応募するときの注意点も詳しく紹介した。


学校の教科書も随分と多彩になりましたね。
「ゆとり教育」とか云う制度のおかげで、勉強をしたい人はするし、勉強をしたくない人は勉強をしなくてもいい環境になりました。
それどころか、学校に来たくない人は来なくてもいいと云う風潮もありますね。
昔ならば不登校は大問題であり、生徒自身も「少なくとも学校は行こう」と自分をせき立てて学校へ行ったものですけれどね。
しかし最近ではご近所等でも、不登校の子がいると云う事を当たり前のように聞きます。

勉強をしたがらない子へ、いかに勉強に対して興味を持ってもらうか?
その一方で、高レベルの勉強をしたい子へ、いかに沢山の有益な情報を提供するか?
この相反する課題を一冊の型どおりの教科書で対応するのは確かに難しいですよね。

まだ、ハイレベルな勉強をしたい子達は、いいと思うんですよ。
予備校とか学習塾で補完できますから。
けれど、勉強をしたがらない子達の場合、学校の外では勉強に触れる機会がありません。

私は子ども達に勉強をしてもらいたいと思う反面、「そういや私自身、勉強をして何かメリットはあったのだろうか?」と懐疑的になってしまう事もあります。
勉強そのものより、学校での体験や学生時代の趣味の方がよっぽど貴重だったように思います。
小学校、中学校は、学習レベルの違う子が同じクラスで一緒になるけれど、高校以上になると、だいたい自分と同じぐらいのレベルの人たちで構成されていますから、必然的に学習意欲や趣味をどれぐらい重点的に行うか、将来の進路なども似てきます。
だから話しも合うし、そういう仲間達との思い出も鮮明に残るのではないかなと。
そう考えますと勉強と云うのは、「自分と同じような人間と出会う確率を高める為の指標」ぐらいにしかならないのでないかと思ったりします。
実際の話し、就職活動で勉強そのものは役に立たず、せいぜい大学を卒業したと云う肩書きぐらいにしか使えなかったものなあ。
世間を見ていると、勉強の能力が必ずしも幸せ(ついでに収入)と比例する訳ではないみたいですし。
それよりも、若い頃からやっていた勉強以外の才能の方が、社会に出てから役に立つ方が多いです。

勉強は、世の中を生きていく道具の一つ程度の考えでいいのかも。
勉強が絶対的な昔と違い、若い人たちが生きていく為の道具は、勉強以外にも沢山あります。
勉強も電化製品と同じような扱いにまで下がってきたのかなと。
電化製品は消費者に買ってもらう為、他メーカーとの差別化をはかるような機能・デザイン・価額等を工夫します。
それと同じで、勉強だって、それを提供する側は、消費者(学生)に目を向けてもらうような努力は必要だと思います。

そして消費者(学生)なのですが、こちらにもルールは必要だと思います。
自分が大人になってから社会の中で生きていく為に学ぶ事は必要。
それが勉強じゃなくてもいい。
自分がそっちの方が良いと思えば、例えば、音楽・絵・スポーツ何でも良いと思います。
ただし、「逃げるな」とだけは云いたいです。
世間で云うところの「ニート、引きこもり」にだけはなってはいけないと思います。
人間、社会と接してないと成長はありません。
自分ひとりだけの世界では、成長はないと思うのです。

そういえば、新潟関連のニュースでこんなのがありました。

●ニートは「夢を追いすぎ」 県実態調査 新年度から支援網構築

・県の「ニートに関する実態調査研究会」(座長・国武輝久新潟大教授)は二十八日、就職や就学していない、いわゆる「ニート」の実態を「夢を追いすぎ、現実との折り合えない」などとする報告書をまとめた。

・研究会は大学教授、企業の人事担当者、大学生など十三人で構成。県内の若年層約二千六百人に携帯電話で就職環境などをアンケートしたほか、ニートの若者十六人から聞き取り調査をした。

・この結果、ニート像を「自分の可能性や生き方を深く考えすぎるきらいがある」と分析。「ほぼ例外なく、働いて親から自立することを望んでいるが、働くために動き出せない自分自身を強く責めたり、働けないと半ば絶望したりしている」と結論づけた。

・研究会は、今後の対策として就業支援のほか、心のケアを含めた包括的な措置や個別ケースに応じたケアが必要としている。県は十八年度から、近県も含めた若者支援機関の詳細な情報冊子を作成し親に配布▽ひきこもり解消支援などにノウハウのある民間団体との協働関係の構築▽「若者自立支援協議会(仮称)」による全県的なネットワークの形成−などに取り組む方針だ。


自分とは全くタイプの人たちばかりの学校環境だと、とても居心地が悪いですよね。
勉強やスポーツも嫌となると、学校へ行かなくなります。
社会に出ると学校と違って、自分が居心地良く感じる環境って、幾らでもあるんですよね。
だから、引きこもり・ニートの人たちには、自分が思っている社会のイメージだけでは無い事を知ってもらいたいです。

今は、古いものと新しいものがごっちゃ混ぜになっている時代だと思います。
だから矛盾があったり、不本意な折り合いを付けたりしないといけない場面があります。
そんな中、若い子達は生きている。
そりゃあ確かに、厳しいよなあと思います。
けれど、本人達が社会で活躍する頃には、今の現役世代は死んでいるんだし、自分達が思った世界を作っていけば良いのです。
自分達で自分達が良いと思ったルールのある社会を作るには、自分が社会の中にいなくてはいけません。
逃げずに前へ踏み出して貰いたいものです。

Posted by kanzaki at 2006年03月30日 07:15 | トラックバック (0)