2007年04月02日

宮崎駿監督 in プロフェッショナル【4】

●前回の記事:宮崎駿監督 in プロフェッショナル【3】
http://kanzaki.sub.jp/archives/001365.html

いよいよ後半戦、4回目です。
前回までは1回につき、テレビのオンエア10分相当をテキスト化していたのですが、平日で私も仕事が忙しいので、今回からは一応、1回につき5分程度のボリュームです。
つまり、残りは今回を含めて5、6回ぐらいでしょうか・・・(長っ)。

今回は、監督自身が、自分の才能の枯渇・体力の衰えを感じ、そんな中でも戦っている心意気を感じてもらえればと思います。

では、どうぞ。


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2006年5月31日。
この日も良い天気。
アトリエの前の路地を自転車が颯爽と通り過ぎていく。

ナレーション:
新作映画の準備作業が始まって、3週間が過ぎた。
宮崎のイメージボードは、じょじょに出来つつあった。

アトリエの壁に、小さなガラス瓶を潜水マスクにして泳ぐポニョのイメージボード。
もう一枚は、小さなエンジン付(?)ボートに、宗介とポニョが乗っているイメージボード。
船体の下半分は赤、上は黄色(薄緑色)、ボートの屋根は黒。

ナレーション:
主人公のポニョと宗介が、水没した町に船出するシーン。

次に映し出されたイメージボードは、「フジモト」と書かれた成人男性。
髪は赤くて長く、ふわっとしている。
顔はヨーロッパ貴族を連想させる鼻筋の通ったハンサム(年齢は中年?)。
服は、青と黄色の縦じまのスーツ。
中に白いシャツ、首に大きな赤いネクタイ。
空中に丸く浮かぶ液体のようなものを上から手のひらで触れて持っている。
中には、ポニョが泳いでいる。

ナレーション:
ポニョの父親と云う謎のキャラクター。
しかし、宮崎の表情は険しかった。

宮崎監督、机の前に腰掛けて作業をしている。
灰皿には沢山の吸われたタバコの数々。
画材のほかに、沢山のイメージボードが置かれている。
宮崎監督、それを次々と手にする。

宮崎駿監督:
なんか上手く定まらないね。
漂流しているような気分だ・・・。

いつもは近藤作画監督が使っている机の前に立つ宮崎監督。
ポニョと思わしき人物が動く姿を何枚にも鉛筆で描いたものが重ねて置いてある。
それをパラパラ漫画のように動かし、左手で額を支えながら真剣に見ている。

ナレーション:
宮崎は新作映画で、これまでとは違う何かを探していた。

テロップ:
43年目のルネサンス

画面には、「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」の各シーンを映し出している。
現実の世界にはいない、オウムや巨大昆虫のような生き物達。

ナレーション:
宮崎はデビュー以来、その濃密な映像で世界を驚かせてきた。

続いて、「千と千尋の神隠し」のワンシーン。
巨大な化け物と化したカオナシが、「鬼の間」で沢山の食料をむさぼっている。
続いて、カオナシが千尋を追いかけ回すシーンへと続く。

ナレーション:
「千と千尋の神隠し」で登場する「鬼の間」。
隅々まで描きこまれた緻密な画面。
絵の精度は頂点を極めたと、宮崎自身感じていた。
しかし去年2月、宮崎を大きく揺さぶる出来事があった。

画面は、ロンドンにて街の景色を見つめる宮崎監督。
黒いコートで全身を覆い、キャップを深々と被っている。

ナレーション:
イギリス旅行の際に立ち寄ったテート・プリテン。

映像は、NHKが撮影して来たテート・プリテンが映し出されている。
白く巨大な、聖堂を思わせる美術館のようだ。
絵画の数々が、館内に整然と飾られている。

ナレーション:
「ラファエル前派」と呼ばれる画家たちが描いた絵に、宮崎は大きな衝撃を受けたと云う。

*ラファエル前派:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A8%E3%83%AB%E5%89%8D%E6%B4%BE
19世紀の中頃、ヴィクトリア朝のイギリスで活動した画家たちのグループ。
題材は中世の伝説、聖書、文学などに取材したものが多く、徹底した細密描写。

ナレーション:
その一枚、「オフィーリア」(1852年、ジョン・エヴァレット・ミレイ作)。

*ジョン・エヴァレット・ミレー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%
E3%83%BB%E3%82%A8%E3%8
3%B4%E3%82%A1%E3%83%AC%E3%8
3%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%AC%E3%83%BC

上記のwikiに、「オフィーリア」の画像あり。
シェークスピアの『ハムレット』のヒロインを題材にしたもの。
川の流れに仰向けに浮かぶ少女のモデルは、後にロセッティの妻となるエリザベス・シダルである。

ナレーション:
細部まで丹念に描きこまれた画面。
光の具合によって、微妙に表情を変える油絵の質感に圧倒された。

宮崎駿監督:
(アトリエで机に向って、イメージボードに彩色をしながら語る)
なんだ、彼らがやってたことを下手くそにやってたんだって思ったわけよね。
驚嘆すべき時間だったんだけど・・・ああ、俺たちのアニメーションは、今までやってきた方向で、このまま行ってもやっぱり駄目だってよーく分かったなあって感じがして帰ってきて。
自分達がこう・・・薄々と感じているもんなんだけど・・・いや、俺は感じている。
もうこれ以上、行きようがないって。

宮崎監督の作業は、太陽が沈んだ後も続いている。
紙に描いた絵をパラパラとめくって動画チェックしている。

ナレーション:
長い歳月をかけて練り上げてきた自分達の表現手法。
それに背を向け、どこへ向えばいいのか・・・。

宮崎駿監督:
(パラパラとめくる手を止めて)違う。

次の瞬間、せっかく描いた絵達は、机の下にあるゴミ箱の中へ押し込まれていた。

宮崎駿監督:
駄目だね・・・違うことだけは分かっている。

宮崎監督、タバコを吸い始める。

宮崎駿監督:
才能も日々、磨耗していくもんだから。

タバコを口にくわえながら、鉛筆を自動鉛筆削り器で削っている。
また作業を始めて描き出したが、その絵もまたゴミ箱へ。

宮崎駿監督:
(苦笑いしながら)どこが違うかなんか分かんないんだよ。

宮崎監督、立ち上がる。
手を腰にして、壁に貼られてある数々のイメージボードを見つめる。

ナレーション:
映画と向き合うとき、宮崎はいつも一つの言葉を忘れない。

テロップ:
裸になって、つくる

宮崎監督、再び作業に没頭する。
そしてしばらくして、疲れからかメガネを外し、両手で顔をさする。
メガネを外したまま顔をイメージボードにまで近づけ、じっと見つめる。

宮崎駿監督(ナレーション):
正直につくんなきゃいけないんですよ、裸になって。
本当に・・・。
いや、これはもう娯楽映画だからって作っていても、実はその人間の根源的な思想が、よく出てしまうものなんですよ。
出すまいと思っても出ちゃうんですよ。
それで隠して作ると、そのしっぺ返しが本人だけに来るんですよ。
どういう風に来るかって云ったら、やっぱり正直に映画を作らなかったと云うしっぺ返しが来るんです。
自分にダメージが来るんですよ。
だから映画が作れなくなりますよ。


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辺りが暗くなり始めた、とある日。
以前、アトリエの前に木製のベンチを置いたのを覚えているだろうか?
そのベンチを何人かの子供たちが持ち上げようとしている。
近藤作画監督と宮崎監督がベンチを運ぶのを手伝っているようだ。
近藤作画監督、「はい、ありがとう」と少女に優しい声をかける。
タバコをくわえた宮崎監督も、「ご苦労様でした」とお礼。
大人二人が持ち上げて移動を開始したので、ベンチの真ん中あたりを支えてくれていた少年が手を離す。

宮崎駿監督:
(少年が)手を離したら重いわ(近藤作画監督と二人で笑う)。
ちゃんと力を出してくれていたんだわ。

ベンチを片付けて戻ってきた宮崎監督。
そこには、先ほど協力してくれた少女(まだ就学前?)が待っている。

少女:
素敵なオヒゲね。

宮崎監督、体をかがめ、少女の手を持ち上げるや、少女の手を自分のヒゲに触らせてくれた。
少女、大喜び。
宮崎監督、少女の背中を軽く押して、前へ進めさせる。
そして、「さようなら」と手を振って、少女たちの帰宅を見送る。
少女は立ち止まって振り返る。

少女:
ハウル作ってありがとう。

少女はそう云うや、可愛くお辞儀をする。
宮崎監督、「どういたしまして」と優しく返事。
なんだか上機嫌だ。

宮崎監督、アトリエの中に入ってきて電気を灯す。
冒頭で作業をしていた2階ではなく、1階の書斎のようだ。

ナレーション:
この日、宮崎は、イメージボードの製作を中断して、ある作業にとりかかった。

机の電気スタンドのスイッチをひねり、灯りをともす。
続いて、この書斎の横にある、小さなテーブルの上に手をのばす。
黒いポータブルCD機が、コンパクトで黒く四角い一個のスピーカーに繋がっている。
スピーカーを操作しているとやがて、クラシック音楽が流れ始める。

宮崎監督、タバコを口にくわえ、上部で綴られた原稿用紙(横書き)の冊子に、鉛筆で文章を書き出す。

ナレーション:
自らを駆り立てるかのように、ワーグナーのオペラ「ワルキューレ」を流す。
書き始めたのは、スタッフに向けて、映画の方向を示す覚書だった。

原稿の文章(アップなので全体の文章は分からない):
・・・すら盛り上り、ひずみ、ゆれる世・・・
・・・海が生きて印象に残る作品にしな・・・
・・・ない。
・・・の方向は、上記の課題を実現す・・・

宮崎監督、書いている最中の覚書を前に話し出す。

宮崎駿監督:
理想を失わない現実主義者にならないといけないんです。
理想の無い現実主義者なら幾らでもいるんです。
(ディレクター、「そうですね」と相槌)
理想が無い現実主義者って最低って事だからね。
そういう現場にしたくないんですよ。

ナレーション:
同じ志を抱き、共に理想を目指した仲間の多くは、既に現場を去った。
宮崎自身、その衰えは隠せない。
握力は、かつての半分以下。
鉛筆の芯は、HBから5Bまで柔らかくなった。

カメラは、覚書を執筆している宮崎監督の右手に近づく。
手にしている鉛筆は「5B(とても柔らかい芯)」。

続いてカメラは、書斎の外から宮崎監督が執筆している後姿を撮影する。

宮崎駿監督(ナレーション):
限界はね、毎日ひたひたと感じていますよ。
なんてこんなに遅々とした歩みなんだろうって。
しょうがないよね。
出てくる蛇口が細くなっている・・・うーん。

ナレーション:
映画の目指すべき方向。
宮崎はそれをこう記した。

原稿の自筆(カメラは文字の一部だけを映しているので、正確な漢字や送り仮名は不明):
精度を上げた爛熟から素朴さへ舵を切りたい。


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今日はここまで。

私は「プロフェッショナル」と云う番組を何回か見ましたが、今回ほどそのタイトルに相応しい人物はいないと思いました。

一度頂点を極めても、それで満足せず、一度崩壊してみる。
そしてそこから新たな何かを築きあげていく。
けれど、その生みの苦しみは並大抵ではない。

その生みの苦しみの中から遂に次回、新たな産声が聞こえてきます。
どうぞ、お楽しみに。

●次回の記事:宮崎駿監督 in プロフェッショナル【5】
http://kanzaki.sub.jp/archives/001369.html

Posted by kanzaki at 2007年04月02日 23:45