2007年08月30日

変化に対応できる生き物

ダーウィンの言葉で、こんなものがあります。


この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。
そうではない。
最も頭のいいものか。
そうでもない。
それは、変化に対応できる生き物だ。


この言葉、実はダーウィン自身のものではなく、後の創作らしいです。
けれど、格言としては非常に良い言葉ですよね。

変化に対応できる人って、どんな人達なのでしょうか。
思うに、「このままじゃいけない」「今のままでは生活が心配」と少なからず危機感を持ち、計画を立てて現状打破を行っている人達ではないでしょうか。

裕福層の人達からは、変化と言うものを感じません。
例えば服装も髪型も、どことなく一昔前の形のような気がします。
おそらく、その服はオーダーメイドで、素材も作りも良いのでしょう。
しかし服のデザインは、同じように見えても5年もすると、ラインや角度がどうしてもヤボッたくなるものです。
髪型も、どことなく昭和を思わす感じ・・・よく言えば、清楚な感じです。
裕福層は、変化する必要がないのでしょう。
特に大きな変化をせずとも日常生活を平穏に過ごせれば、それに越したことはありません。
そして、それが可能なのが、この層なのです。
そんな所から、精神的にも変化を求める感情が薄れ、それが服装や髪型なんかにも影響するのではないでしょうか。

最下層はどうかと言うと、それはそれで変化を求めません。
アメリカのスラム街の人達が、上へ這い登ることをやめ、自分達に合った生活基盤を作ったように、彼らは彼らで独自の生活スタイルを作っています。
この層は、色んな事に対してアンテナを張り巡らそうとはしません。
我流を押し通し、特定のことだけに集中し、そのまま生きていくことになります。
ちなみに特定の事と言うのが、ギャンブルだったりします。
どうして、ギャンブルに手を出すのでしょうかね。
必死に汗水垂らして得た収入を平気で運任せに増やしたり・減らしたりできる感性が、私には理解できません。

中間層が一番、変化に敏感だと思います。
中間層と言っても、日本の場合は非常に幅が広いものです。
生活になんらかの危機感を感じれば、それは中間層と考えても良いのかもしれません。

人間は一度、「固定費」として確定してしまったものに対し、それを止めたり、変えたりする事がなかなか出来ません。
特に、その固定費のレベルを高くしてしまった場合はなお更です。
子供が私立の学校に入ったら、お金がなくなってきたからと言って、公立へ転校させられません。
高級マンションに住んでしまうと、ご近所の手前、家具などを安物にする訳にはいきません。
そんな見栄からはじまった生活は、壊れた蛇口から延々と垂れ流される水のごとくお金が流出し、しまいには破産してしまいます。

「サラリーマンは2度破産する」の著者・藤川 太さんは、こう言います。

「破産回避を前提に家庭を経営していこうと思ったら、まず貯金目標を立て、収入からそれを差し引いた残りの範囲内で生活すべき」

公式で書くとこうなります。

●貧乏家族:収入−固定費−やりくり費=貯金

○金持ち家族:収入−貯蓄−固定費=やりくり費

そして生涯に渡るライフプランに合わせて、貯金計画を立てる。
これによって破産から回避できるのです。

収入が減ったからと言って、見栄もあって、なかなか生活レベルを落とせるものではありません。
けれど、ここで変化に対応できる人は、生活レベルを落としてでも、真っ当な人生を歩もうとします。

我々は、ダーウィンが提唱しているような「進化」を人生の中で行うことが出来ません。
しかし、「変化」は可能です。
それも、その人の考え方ひとつで変えることが出来るのです。

よほどの裕福層でもなければ、社会情勢・勤めている会社の業績によって、人生の中で何度か、生活を見直す機会が出てくるものです。
そこで柔軟に対応できる、柔らかい頭でありたいものですね。

Posted by kanzaki at 2007年08月30日 23:09