2007年10月29日

ケータイが小説家を殺した

今、一番好きなドラマは、NHKの連続テレビ小説「ちりとてちん」です。
出演者は皆、芸達者な人ばかり。
そして脚本が非常に優れていまして、小道具を使った綿密な複線のはり方に感心しております。
こんな良作なのに、視聴率が今ひとつなのが不思議でなりません。

来週11月3日、NHKの番組「土曜スタジオパーク」に、主人公の貫地谷しほりさんと、徒然亭草々役の青木崇高さんが出るそうなので、是非見てくださいね(マジレッドと仕事人も登場するそうです)。
「ちりとてちん」の記事をまだ神ナナで書いてないのは、これを待っていたからだったりします。

先週土曜日放送の中で登場したオムライスが、非常に美味しそうでした。
調べてみたところ、なんと実在するそうです。

●中之島倶楽部「オムライス」 中之島公会堂(大阪市中央公会堂)
http://blog.kansai.com/maa/226

有名で由緒正しき場所。
1日に200食限定のメニューですが、680円とリーズナブル。
大阪へ行った際は、是非とも食してみたいものです。

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さて、本題。

本日10月29日は「ホームビデオ記念日」です。
1969年(昭和44年)、家庭用のVTR機器として、ソニー株式会社がベータ方式を、松下電器産業株式会社がVHS方式を発表したのが由来です。
これから数年、両陣営の熾烈なシェア争いが繰り広げられました。
結果、VHS方式が勝ち残りました。
レンタルビデオ屋が普及した際、主にVHS方式を採用したのが勝因ではないかと思います。
私見ですが、特にVHS方式のアダルトビデオ作品が貢献したのだと思います。
ネットの普及も、アダルト画像・映像が貢献しました。
いつの世も、エロが時代を作るのです。

テレビをリアルタイムで視聴するのが当たり前だった時代、ビデオで予約録画することにより、後で好きな時に見ることが出来るようになったのは、我々のライフスタイルに大きな変化をもたらしました。。

こうして、テレビを中心としたAV機器が発達・普及して、どの家庭でも普通に楽しめるようになりました。
その一方で、昔は情報発信の重要な役割を果たしていたラジオが衰退していきました。

そんな事を書いていましたら、1979年のバグルスの「ラジオ・スターの悲劇(Video killed the radio star)」という曲を思い出しました。
原題を直訳すると 「ビデオがラジオのスターを殺した」。
音楽業界はビデオの普及に目をつけ、80年代にミュージックビデオ(プロモーションビデオ)による宣伝広告を行いました。
そしてアメリカの若者向けケーブルテレビ・チャンネル「MTV(Music Television、ミュージックテレビジョン)」の誕生により、その勢いはますます加速しました。
マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」、マイケルジャクソンの「スリラー」などは、ミュージックビデオをうまく活用して成功した例ではないかと思います。

「ラジオ・スターの悲劇」を唄ったバグルスの中心人物であるトレヴァー・ホーンは、そんな80年代にはプロデューサー業に精を出していました。
「ビデオがラジオのスターを殺した」と唄った人物が、80年代のミュージックビデオ全盛時代に音楽のプロデュースをしているのは、まさに皮肉的。

21世紀に入った現在、「ビデオがラジオのスターを殺した」と同じようなことが、別のメディアでも起こっています。

今は、「ケータイが小説家を殺した」の時代なのです。

小説のスタイルも変わりました。
今、「ケータイ小説」なるものが、もてはやされています。

今年の上半期文芸部門の売上げランキングを見ますと、10冊中6冊がケータイ小説だったのです。
第一位の「赤い糸」は上下巻合わせて初版100万部を発行しました。
この小説、普通のものと違うのは、横書きだということです。
そして、字が赤いのです。

ケータイ小説とは、携帯電話で執筆された小説。
横書きで、簡潔な表現が特徴です。

あまり本を読まず、ケータイ小説を読んでいた女子中高生をターゲットにしているため、イメージを壊さないように、書籍になった際も横書きにしました。

本文を見ますと、


♪〜♪〜♪・・・・・・
切れちゃった。
♪〜♪〜♪・・・・・・


こんな表現もあります。なんじゃこりゃ。
まあ、こういう小説をきっかけに、本格的な書籍を読んでもらえるならばいいのかなあとも思います。
しかし、彼女らが社会の中心世代になった時、ケータイ小説が当たり前の存在になっていそうな予感がします。

本が売れない時代。
買ってくれる人達が、そういう書籍を求めているのですから仕方がないのかもしれません。
けれど、私がネットで書く文章も含めて、ゴミのような文章はネットの中だけで十分だと思います。
あえて本という形にする必要はありません。
これが普通になった時、ちゃんとした文章を書ける小説家は絶望し、死を迎えるのです。


そんな時代なんだよ、今は。

Posted by kanzaki at 2007年10月29日 20:58