2007年12月14日

姉ちゃん、来る

「プリングルズ」というポテトチップスがありますよね。
味はおいしいのですが、容器の処分に困るんですよねえ。
底の蓋が金属製なので、ゴミとして捨てる際、分別が面倒です。
カッターやハサミで蓋を分離させたいのですが、容器の形状のせいか意外と面倒です。
下手すると、怪我をしてしまいます。
ちょっと高級で大人向けなポテトチップスと言いますと、「GABAN POTATO CHIPS」というのがあります。
あちらは全て紙製の容器なので、捨てるのが楽です。
ゴミの分別に対しての意識が高まっている昨今ですので、「プリングルズ」の容器も早く改良してほしいものです。
まあ、「プリングルズ」も「GABAN」も値段が高いので、私は滅多に買いませんが・・・。


さて本題。

先週土曜日に、姉ちゃんが東京から帰京しました。
急遽、小学校時代の同窓会が開かれることになったのだそうです。
いきなり前日の夜に電話をかけてきて、帰るからと連絡がきたものですから、布団やら部屋の用意で大慌てでした。

姉ちゃんと書きましたが、私の実の姉ではありません。
私の母親の妹さんです。
年上の兄弟がいない私ですが、小さい頃はいつも遊びの相手をしてくれていたので、いつの間にか「姉ちゃん」と呼ぶようになっていました。

姉ちゃんは新潟にいた頃、大学病院に勤めていました。
とは言っても、医者や看護師ではありません。
大学の先生のアシスタントみたいな感じの仕事のようです。
あの頃の病院と言えば、世の中でも更に羽振りが良い場所でした。
姉ちゃんは、病院の若い人たちといろんなところへ出かけたり、遊んでいたりしました。
面度見のいい姉ちゃんは、幼い私も、その遊びに連れて行ってくれました。

私の母は仕事で忙しいので、一般的なレジャーへ連れて行ってくれる事は滅多にありません。
それ故、幼い頃に遠出した思い出と言いますと、姉ちゃんが連れて行ってくれた事の方が多いように思います。

姉ちゃんは、私の母と違ってサバサバ系です。
都会の人らしい考え方や趣味の持ち主なので、結婚して東京へ行ったのは正解かもしれません。
当時、姉ちゃんの家へ行きますと、私の家には無いものがたくさんありました。
今でも印象的なのは、音楽関係です。
巨大なスピーカーが部屋の天井近くに設置してありました。
そして、大量の洋楽レコード。
部屋の中で聞く音楽は殆ど洋楽ばかりでした。
ギターなども置いてあったし、海外アーティストのコンサートが東京で行われれば行くし、かなりの音楽好きだったようです。
その部屋で聞く音楽の数々は、インパクトがありましたねえ。
私の家には音楽を再生するものなんてありませんでしたので、音楽と接する機会といいますと、せいぜいテレビの音楽番組(ザ・ベストテンなど)ぐらいでしたから。

私が生まれ始めて見た海外の映画は、たしか「スーパーマン」だったように思います。
これも、姉ちゃんや病院の先生達と一緒に観ました。
幼い私ですので、当然、字幕なんて読めません。
しかし、「東映まんがまつり」ぐらいしか映画館で観ていなかった私には、海外のSFヒーロー映画のビジュアルに、非常に驚いて観ていたものです。
特にクライマックスの、スーパーマンが地球の上を何十周も飛び続けるうちに、地球の自転が反転し、時間が戻るのには驚きました。

ちょっと話しはそれますが、私の父親が生きていた頃、私と弟を「東映まんがまつり」などへ連れて行ってくれました。
ある時、「東映まんがまつり」へ行ったところ、既に上映が開始されていました。
次の回までまだ時間があるので、父は別の映画を見て時間を潰そうと提案しました。
当時、新潟にあった東映系の映画館は、一つの建物の右半分を邦画系、左半分を洋画系を上映していました。
洋画系の建物に入るのは初めてだったので、非常にワクワクしました。
しかも、上映している映画は、ジャッキー・チェーンの映画です。
タイトルは忘れましたが、「○○拳」みたいな作品だったと思います。
こちらも既に上映が開始されていたのですが、中に入って観ることにしました。
座席に座ってスクリーンを眺めていたのですが、一向にジャッキー・チェーンが登場しません。
・・・って言いますか、登場人物は日本人ばかりです。
それどころか、セックスシーンが始まりました。
今思い返すとあれは、ジャッキーの映画と同時上映のエロ系映画(もしくはヤクザ映画)だったのかもしれません。
父は、エロが見たかったのか。
子供を連れて観に行くなよ、親父。

話しは現代へ戻ります。
そんな姉ちゃんが土曜日の夜に帰省費しました。
私が会社から帰宅すると、既に姉ちゃんはいました。
同窓会へ出かける為に身支度をしていました。
私に声をかけてくる声は、相変わらず大きい。
そして、タレントの木下優樹菜のようなガラガラ声。
私の母は、声が細くて小さいし、お酒も殆ど飲めず、菜食主義者。
それに対して姉ちゃんは、声は太くて大きいし、お酒はザルだし、肉は幾らでもガッツリ食べます。
パワフルな性格は、今も変わりません。
それどころか、パワーアップしていました。
理由は、関西弁にあります。
東京に住んでいるのに、なんで関西弁かと言いますと、息子さんが関西の大学へ進学した影響かもしれません(息子さんは今年大学を卒業。今はテレビ番組の制作に携わっているとか)。
息子さんは内気な性格で、姉ちゃんとは正反対の性格。
姉ちゃんの性格は、現在、高校に通っている娘さんに遺伝したようです。

姉ちゃんの息子さん同様、内向的な私は、そのパワーに圧倒されました。
私は姉ちゃんを同窓会の会場まで自動車で送りました。
姉ちゃんが帰ってきたのは日付変更線を越えてからだったようです(私は寝ていたので、具体的な時間までは分りませんが)。
さぞ、賑やかな酒の場だったことでしょう。

翌日、私は目が覚めてリビングへ行ったところ、既に私の母と姉ちゃんは起きていました。
姉ちゃんは、二日酔いとか全くなく、午前中から活発的に動いておりました。

姉ちゃんは、せっかく新潟に戻ってきたので、お土産の買い出しや、旧友と会いたいと言いました。
しかし、私の母親はこの日も仕事。
当然の如く、私がお出かけの際の運転手をすることになりました。
図書館へ行きたかったのですが、そんな言い訳を口には出来ません・・・。

姉ちゃんが買いに行きたいと言ったものを捜し求めて繁華街へ。
さすがに姉ちゃんも、久し振りの新潟の町なので、お店の場所が細かいところまで分りません。
自動車を駐車場に停めた後、私たちは徒歩で店を探しました。
しばらく歩きましたが、お店が見つかりません。
私はどうしようかと思っていたところ、姉ちゃんは道を歩いている見ず知らずの人に、次から次へとお店の場所を訪ねていました。
全く躊躇のない話しかけ方。
新潟県民は、他人から話しかけられるのが苦手です。
ATフィールドを展開して、他人との間に壁を作ります。
しかし姉ちゃんは、そのATフィールドを侵食して相手に話しかけます。
声の質のせいでしょうか、声をかけられた相手は少し後ずさりしています。

その積極的な捜査(?)のおかげで目的地へ到着。
食品系土産物屋の老舗です。
言っておきますが、「吉兆」ではありません。
どれも値段が高くて、私には全く縁のないお店です。
しかし姉ちゃんは、礼儀正しく商品知識豊富な若い女性店員に対し、関西弁で注文をします。
ただ単にお店に陳列されているものを選ぶのではなく、特別な組み合わせ・包装を注文します。
今、お店にないものも、後で東京へ発送してくれと依頼しております。
いろんな交渉事をこの声質と関西弁で行います。
若い女性店員は、よくもまあ難題な注文に対して、テキパキと対応できるなあと感心している私。

買い物が終わった後、近くの老舗風の蕎麦屋へ寄りました。
そこで姉ちゃんに蕎麦をごちそうになりました。
私はカレー蕎麦を注文しました。
カレー蕎麦やカレーうどんと言うのは、食べるのが面倒ですよねえ。
食べている時に汁が飛んで、服に付きますから。
私はそういう事が分りつつも、ついつい注文してしまいます。
まあアレです。
バナナの皮が地面に落ちていると、ついついそれに向かってダッシュをして、勢いよくバナナの皮で滑って転びたくなるケロロ軍曹の心境と同じです。

その店で姉ちゃんから、私の幼い頃のことを聞きました。
病院の先生達と出かけた際、まだ2歳かそこいらだったせいでしょうか、行った先で母親が恋しくなったらしい。
寂しくなり、お店のガラス窓におでこを当てて、遠くを見つめていたとか。
そんな話しはじめて聞いたのですが、私は昔から姉ちゃんとは正反対の性格だったようですね。

その後、姉ちゃんの高校時代の友達の家へ向かいました。
特に姉ちゃんは、その友達に連絡をとるでもなく、いきなり行くことになりました。
場所なのですが、姉ちゃんも昔のことなので、あまりはっきりとは覚えていませんでした。
住所だけでも分かれば、カーナビで検索できるのですが、それも分かりません。
大体の方向だけを聞かされて、私は不安な中、運転をしていました。
大分、日も暮れたのですが、まだ目的地へ着きません。
って言いますか、道に迷いました。
コンビニにある公衆電話に備えつけの電話帳で、友達の家を調べました。
先ほど、携帯電話で「NTT104」で調べた時には分らなかったのですが、電話帳には記載がありました。

その記載住所のおかげでようやく到着。
しかし、事前にアポをとっていなかったので、友達は不在でした。
その友達の両親はいたのですが、共に痴ほう症らしく、会話が成立しておりません。
けれど相手の両親は姉ちゃんの笑い声に、なぜか勢いよく反応し、場の雰囲気だけは良かったです。
そんな中、赤の他人である私は、非常に気まずい訳でして・・・。

そんなこんなしていますと偶然、姉ちゃんの友達が帰ってきました。
本当に偶然。
道に迷って遅くに到着していなかったら、再会できませんでした。
ラック値のパラメーターが高いのも、姉ちゃんの凄いところだと思いました。
姉ちゃんとその友達を比べますと、同じ年齢なのに、姉ちゃんの方が若く感じました。
あの性格は、細胞を活性化させる機能があるのでしょうか。

帰宅した後、私の母と合流し、母の知っている料亭へ出かけて夕食。
海鮮丼が非常においしかったです。
ご飯に対して、盛られた刺身の量がものすごく多くて嬉しかったですよ。

姉ちゃんを駅へ連れて行き、最後に再び土産の追加購入。
姉ちゃんは東京へ帰って行きました。

相手をするのは物凄く疲れましたが、何歳になってもパワフルなあの性格は、見習いたいものだと思いましたよ。
楽観主義なところもいいですね。
変に悩んでいるよりも、とにかく行動。
分らなくなったら、その時その時で判断。
まあ、なんとかなるものなんですよね。

姉ちゃんの旦那さんは大病を患い、いわゆる障害者です。
日常生活は普通に出来るものの、仕事は出来ません。
旦那さんの親御さんは寝たきり。
看病も大変だと思います。
しかし、そんな事を微塵にも出さず、苦労話をしない姉ちゃんはカッコいいと思いました。

Posted by kanzaki at 2007年12月14日 06:25