2007年12月28日

壺と大きな岩

年末の繁忙期をようやく乗り越えました。
明日で仕事納めです。
かなり辛い一週間でしたが、これで少し長めの休暇に入れますよ。

さて、本日はとある授業をご紹介いたします。

教授が、大学生たちを前にして、「クイズの時間だ」と言い、大きな壺を教壇に置きました。

教授は、岩を一つ一つ詰めはじめました。
壺がいっぱいになるまで岩を詰めた後、学生たちに問いただします。

「この壺は満杯か?」

それに対して学生たちは、「はい」と返事をしました。

教授は「本当に?」と言いながら、教壇の下からバケツを取り出しました。
そのバケツには、砂利がいっぱい入っていました。

教授は、その砂利を壺の中に流し込み始めました。
時折、壺を振って、岩と岩の間を砂利で埋めていきます。

そして、学生たちに問いただします。

「この壺は満杯か?」

今度の問いに、学生たちは答えられませんでした。
そんな中、一人の学生が「多分、違うだろう」と答えました。

教授は「そうだ」と笑い、今度は砂の入ったバケツを取り出しました。
それを岩と砂利の隙間に流し込んでいきます。

そして、学生たちに問いただします。

「この壺は満杯か?」

学生たちは声を揃えて、「いいえ」と答えました。

教授は水差しを取り出し、壺の縁までまでなみなみと注ぎました。
そして、学生たちに最後の質問を投げかけます。

「僕が何を言いたいか分かるだろうか?」

一人の学生は答えました。

「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込むことは可能だということです」

教授はその答えに、違うと言い解説をはじめました。

「重要なポイントはそこではないんだよ。
この例が私たちに示してくれる真実は、大きな岩を先に入れない限り、それが入る余地は、その後、二度とないという事なんだ」

続けて話します。

「君たちの人生にとって大きな岩とはなんだろう。
それは仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり、自分の夢であったり・・・。
ここでいう大きな岩とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。
さもないと、君たちはそれを永遠に失う事になる。
もし君たちが小さな砂利や砂・・・つまり、自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、君たちの人生は、重要ではない何かで満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果、それ自体を失うであろう」

教授の話しは、このようなものでした。
あなたはこのお話しを読んで、自分の人生を振り返ってみたのではないでしょうか。
おそらく神ナナをご覧の方たちは、30代以上の人たちだと思います。
ある程度、人生を歩んでこられた方たちです。
自分にとっての大きな岩はなんだったか覚えていますか?
ひょっとしたら、その大きな岩に目をそむけ続け、目の前にある安易な砂利や砂で満たしてきたかもしれませんね。
自分の人生に満足がいく人ほど、この大きな岩を若いうちに沢山詰めて、それを生きる糧にしているかと思います。

私自身、大きな岩を詰めてこなかったように思います。
大きな岩と呼べる知識・資格・技能などがありません。
なんだか、アニメや漫画、適当なスポーツに趣味など、その場限りだったり、世間のブームに乗せられて過ごしてきたように思います。
だから今、ある程度生きてきたのに、心の真ん中に大きな空間がぽっかりと空いたように感じているのだと思います。

自分の人生の大黒柱になるようなものが無いのです。
だから、いつ天井が崩れてきてもおかしくない状態です。

知人で20代後半の人がいます。
彼は2級建築士です。
高校を出て間もない頃は、土方仕事で肉体労働に汗していました。
しかし22歳の頃、一念発起し、建築の学校に入りました。
周りは自分より年下ばかりで、時折、居たたまれなくなる事もあったそうです。
しかし勉強のかいがあり、2級建築士に合格しました。
今は建築会社でその資格を使った仕事に従事しています。
そして仕事をしながら勉強も続けています。
今度は1級建築士を目指しているそうです。
休日は学校へ行き、全過程4年の勉強をしています。
仕事と勉強の両立は大変なはずですが、彼は常に笑顔です。
理由を聞いてみると、「やっぱりこの仕事が好きなんですよねえ」と笑顔を返しました。
自分より年下ではありますが、私と違い、人生の真ん中に大黒柱をたてつつある人生を過ごしています。
これこそ冒頭の教授が言っていた「大きな岩」なのでしょう。

私は大きな岩を詰め込まなければと気づいた時には、既に遅すぎました。
しかし、まだ諦めてはいません。
壺をひっくり返し、今まで詰め込んでいた砂利や砂を出してしまえばいいのです。
教授は難しい・大変だと言うでしょうが。

せっかく詰めていた大きな岩も幾つか出てしまうでしょう。
けれど惜しむ必要はありません。
砂利や砂も無くなったのですから、大切な大きな岩を改めて詰めてやればいいのです。
私は最近、いろんな事にリセットをかけています。
もう一度、自分の人生をやり直すための作業です。
教授の話しを聞いた後、自分にとっては大切だと思っていた砂利や砂が、物凄く幼稚で無意味なものに感じてしまいました。
一度そう思うと、簡単に捨てることが出来ますね。
砂利や砂が無くなるだけで、随分と生きるのに余裕が出来たように感じます。
砂利や砂を管理するストレスから開放されたからだと思います。

そして、2007年も終わろうとしている今、自分の中で「大きな岩」と思えるものにめぐり合いました。
来年は、その大きな岩を自分の壺に詰め込んで、実りのある一年にしたいと思います。

Posted by kanzaki at 2007年12月28日 22:17