2008年04月03日

比較することはありません

前の会社を辞めて、今の会社へ転職した途端、給料が増えたなんていう話しを聞くと、聞かされた方は何故か、心の中に焦りを感じるものです。
私の同期も殆どが30歳を前に転職しました。
だから、そういう話しはよく聞くし、正直「自分は世の中から置いて行かれているのでは・・・」と思うこともありました。

そんな私ですが、そんな話しを聞いて心が揺らいでも、実際に今の会社を辞めるかと言えば、そうではありませんでした。
私にとって、社会人になってから自慢できることの一つは、転職を一度もしていない事です。
確かに、給料の面だけを見れば、心がぐらつきます。
しかし幸い、やっている仕事に手ごたえはあるし、周りの方々が良い人たちなので、金銭にかえられないメリットだと思っています。

転職の際、どうしても給与の事ばかりを重視してしまいがちです。
特に、結婚していて子供もいる、家のローンもある人ならば尚更です。
金銭的な面は良くて転職した会社が、実際に勤めてみたらブラック企業顔負けなんて事は多々あります。
ましてや、人間関係なんていうのは、その会社へ入ってみないと分からないものです。
人事担当の人と面接しただけでは分かりません。

それと、転職するという事は、比較対象が増えることを意味します。
人間は、自分の今の幸せを他人と比較して、その勝敗に一喜一憂します。
「オリジナルな幸せ」というものを持たない人の場合、比較することでしか平凡な日常の中で幸せを感じられないのです。
そういった比較することが当たり前になっている為、もし転職した先も、以前の職場と同じように「会社員」「使用人」「公務員」のような雇われる側の人間だった場合、以前の職場と比較してしまいます。

・新しい職場は給料がアップした→前の職場より、金銭的余裕が出ていい。

・新しい職場で困難なノルマをかせられた→以前の職場は、給料は安かったけれど、のんびりしていたなあ。

・新しい職場で友好関係の結べる人物に出会えた→以前の職場は、とある人物との人間関係で悩んでいたなあ。

・新しい職場で嫌味を言う人が現れた→以前の職場は、多くの人とは馬鹿話しも出来て笑っていたなあ。

そんな風に、新しい職場で何か事があるごとに、以前の職場と比較してしまうのです。
比較することで一喜一憂してしまうのは、以前も今も、同じような立場(ここでは雇われ人)だからです。

比較しないようにするには、例えば会社の経営者になるとか、資産運用で生計を立てるとか、以前とあまり比較対照が出来ない人生を歩むのが手っ取り早いですが、それだってやはり、「昔は○○だったなあ・・・」と少なからず比較してしまうことでしょう。

今の職場を去り、新たな職場で再スタートするのは本当に大変だと思います。
特に年齢がある程度行きますと、相当なパワーを必要とすることでしょう。
もし新しい職場の選択を間違えると、また辞めてしまい、辞める癖もついてしまいます。

最近の私の考えですが、人間関係や体力面で辞めるのは仕方がないと思いますが、もし金銭面的な部分で辞めたいと思うならば、それはよした方がいいと思っています。
今、「よした方がいいと思っています」と書きましたが、これは誰かに対しての助言ではなく、私自身が私に対して自問自答しているだけなので、反論があったらこの先は読み飛ばしてください。

結局、お互いが会社等の雇われ人である限り、同年代ならば、年収の差なんて500万円もないでしょう。
だから、自分と他人を比べたところで、お互い、大したことではありません。
500万円程度の差ならば、株式投資等ですぐに挽回できます。
株式投資はギャンブルと同じだと思っている人は、その分野についてキチンと勉強していないからです。
ちゃんと勉強をしていれば問題ありません。
しかも「複利の力」で、お金がお金を増やすようになりますから(いつか、この事について書くとしましょう)。

その程度の収入の差で一喜一憂する必要なんてないのです。
それよりも、「オリジナルの幸せ」の方が大切だと思っています。
だって、誰かと比べる必要が無いのですから、これほど凄い事はありません。
凡人の悩みの一つである、他人(多くは、自分の知っている範囲内の平凡な人たち)との比較で悩むことが無いのですから。
その人によって、「オリジナルの幸せ」は違ってきます。
なにせ、オリジナルですから。
ここでは具体的な事は述べませんが、そういうモノを若いうちから見つけて、何十年経過しても楽しんでいられる人は、人生の勝利者だと思います。

ただし、どんな事でも、やめたらお終いです。
漫画「スラムダンク」の安西先生の名言にこんな言葉があります。

私だけかね・・・?             
まだ勝てると思っているのは・・・・・・・・・・
あきらめる?
あきらめたらそこで試合終了ですよ?

漫画ですが、ものすごく奥深いことを言っています。
年齢を重ねた人ならば、その言葉の本当の意味を理解できているはずです。
特に「希望をすてて、何かをあきらめた人」はね。

年収が多くても、しょうもないガラクタを集めるたり、浪費をしていれば、年収が少なくても質素で堅実な生活をしている人と、実際に手元に残るお金なんて、そんなに違いはありません。
年収が多くなると、自慢は出来るでしょうが、それがイコール「オリジナルの幸せ」だとは限りません。

もしあなたが会社員で、収入の少なさで悩んでいるのならば、同じような立場の人に相談してはいけません。
結局、比較しあって一喜一憂するだけですから。
それよりも、全く生き方が違う、価値観の全く違う、スケールの大きい人に相談してみてください。
もし身近にいなければ、そういう人の書籍でもいい。
「人生を多角的に見る」「人生の視野が広がる」という本当の意味を体感できるはすです。

最後にまた、漫画「スラムダンク」の1シーンをご紹介してお終いとしましょう。

安西先生「すまなかったね1番大事な試合に行けなくて…それで…話というのは?流川君」

流川「アメリカに行こうと思ってます」

安西先生「アメリカ…留学かね…?」

流川「もっとうまくなりたい……ただ それだけです」

安西先生「私は反対だ」

流川「…!!」

安西先生「陵南戦のビデオを見たが…君は まだ仙道君に及ばない」

流川「……!!」

安西先生「今 アメリカへ行くという…それは逃げじゃないのかね?まして全国にはもっと上がいるかも」

流川「………」

安西先生「とりあえず…君は日本一の高校生になりなさい アメリカはそれからでも遅くはない」

Posted by kanzaki at 2008年04月03日 22:14