2008年12月27日

美しき停滞〜2009年をどう過ごすか考える【2】

ようやく年内の仕事にケリがつきました。
後は月曜日に大掃除をしておしまい。
今年は1月から裁判所の往復をしたりして忙しく、そのまま暮れまで忙しさを引きずった感じでした。
(別に犯罪を犯したわけではありません。業務上の事です)
おかげで今年は、神ナナを毎日更新する事が出来なかったのが残念。
それでも止めずに続けてこられただけでもよしとしましょうか。

新潟市内はおととい辺りから、暴風と雪で大変寒いです。
朝の凍結で、通勤・通学が大変な人が多かった事でしょう。
私も自転車が使えないから徒歩で会社へ通っていたのですが、行きは気合が入っているから良いものの、帰りは暗い夜道を寒さに耐えながら歩くのは辛かったです。
ヒートテックの上下を見につけているお陰で、大分助かってはいますけれどね。
例年よりも寒さの訪れを早く感じますが、とりあえず熱や風邪を患わずに年内の仕事を終えられそうなので、ほっとしています。

前回から「2009年をどう過ごすか考える」と題して、あれこれ模索しています。
ここ毎年、個人的にいろいろな事に区切りを続けています。
普通でいけば、今まで生きてきた年数より、これから先の死ぬまでの年数の方が多いはずです。
そうしますと、過去に縛られて生きるより、過去の経験を活かしつつも今までよりも視野の広い生き方を考えたいものです。

視野の広い生き方なんていうアバウトな事を書いても、具体的な事が伴わなければ意味がありません。
また、視野の広い生き方というのは、何もアクティブな事だけを言うのではありません。
色々と知ったからこそ、無理なく生きるのもまた、視野の広い生き方だと思います。

そんな事を考えていましたところ、東京新聞の社説に目が止まりました。

●東京新聞の社説・コラム(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2008122402000110.html

それは、いわば「ほどほど」でやめておくという態度である。 このごろ、しみじみ思うが、経済活動はそういうわけにはいかないのだろうか。 専門家には一笑に付されたが、人間がいくらタイムを縮めても百メートル5秒では走れないのと同断、永遠の成長など不可能だ。 ならば、いずれ「ほどほど」を学ぶよりない。 成長一辺倒でも衰退でもなく、「ほどほど」のところでの充実という道。 司馬遼太郎さんの言葉を借りれば「美しき停滞」である。

年齢のせいもあるし、このご時世だからこそ理解できる内容です。

先日、アメリカのスタンフォード大学で生物学を研究するマーク・デニー教授が、生物学研究専門誌に発表した論文が話題になりましたよね。
人類が究極的に陸上100メートル走で伸ばせるタイムは、男子が「9秒48」、女子は「10秒39」との事。
どんなにあらゆる分野を駆使しても、人類は8秒台を出すことが出来ないようです。
考えてみたら当然といえば当然ですよね。
それでも人々は記録を縮めることに努力をし、観衆はそれに狂喜します。

我々の生活を支える経済市場でさえも、陸上100メートル走と同様に、いつまでも右肩上がりで進むはずがありません。
実際、今年の暮れにかけての数ヶ月は、それを象徴するかのような様変わりを呈していました。
派遣切り、内定取り消し、大企業の赤字・・・それらは経済の限界を示すのに十分な判断材料です。
前回の記事で書いたとおり、エコノミスト達は割合、楽観視しているように思えます。
それは自分が大きな船に乗って優雅に過ごしているからであり、その船の通る海で溺れもがく人達を助けずに他人事のように感じているからでしょう。
その乗っている大きな船が、「タイタニック号」だとは知らずに・・・。

作家・司馬遼太郎は「これからの日本に求められるのは美しき停滞である」と言っていました。
日本で「美しき停滞」と呼ばれるに相応しい時代は、過去では江戸時代ではないでしょうか。
260年以上続く長期安定政権の基盤を確立し、「天下泰平」という日本語が生まれるほどの平和な状態だったからです。

一定以上の規模になったらそこで頭打ちにして、それ以下の売り上げでも利益の出る体質へ転換するのは、非常に大切だと思います。
私の会社も今、まさにそうしなければいけない時期です。
当社は世間の経済活動が直接反映される業種です。
会社に利益が出るには、世間にあぶく銭が出回っているような状態じゃないといけない体質でした。
そのおこぼれを貰って利益にしているからです。
しかし今、どこの会社も縮小体質になっており、人も設備も、必要最低限の中で活動するようになってきました。
これでは当社に利益が出るわけがありません。
これからは当社自身も、「ほどほどの規模」「少ない売り上げでも利益の出る体質」に転換していかなければいけません。
幸い、そう考えているのは私だけではなかったので、来年からはそういう方向へ動き出すでしょう。


「ほどほど」というのは、会社の経営だけではありません。
我々の日常生活にも言えることです。
「金が無い、金が無い」と連呼しておきながら、未だにヘビースモーカーで、酒も沢山飲み、パチンコ等に明け暮れている人がいます。
それらをしていなくても、お金に困っているのに、その原因となる浪費に勤しんでいる人が大勢います。
他人の趣味・嗜好にケチをつけるつもりはありません。
それらが自分の生活を潤わせるものならば、止める必要はありません。
しかし、自分の家計を苦しめるような事には否定します。
だから、「ほどほど」なのです。

家計を切り詰めるコツは、毎月必ず支払いのある固定費の見直しでしょうね。
趣味・嗜好と違い、やろうがやるまいが、勝手に引き落としされている類です。
保険やマイカー、ローンなどの見直しでしょう。
以前の自分の生活には適したプランでも、今では不向きなものがあります。
当たり前に引き落とされているから気付かないものでも、ちょっと見直すだけで年間にすると大きな差となります。
金融広報中央委員会の調べで、年収の大小に関わらず、貯蓄ナシの世帯が多い事が分かりました。

無収入  貯蓄アリ46.0%、貯蓄ナシ54.0%
300万円未満  貯蓄アリ63.3%、貯蓄ナシ36.7%

300万円以上1,000万円未満を見ると、各層に貯蓄ナシが1、2割はいます。
そして更に上の層を見ますと・・・

1,000万円〜1,200万円未満  貯蓄アリ93.2%、貯蓄ナシ6.8%
1,200万円以上  貯蓄アリ90.7%、貯蓄ナシ9.3%

1,000万円以上の収入があっても貯蓄をしていないというのが驚きです。
「負の連鎖」というものがありますが、これは「贅沢の連鎖」のせいではないでしょうかね。
大きな家を建てると、それに見合った家具等が欲しくなる。
服やクルマもそれ相応のものが欲しくなる。
子供達の教育費もそれ相応にしたくなる(これは良い事だが)。
そんな感じに、どんどん費用ばかりが増えていき、貯蓄が出来ないのではないでしょうかね。

AV監督の村西とおるさんは、50億円の借金を抱えて分かった事があると言っています。
会社が倒産した途端、蜘蛛の子を散らすように周りから人がいなくなったそうです。
「監督のためなら命を捨てます」「一生ついていきます」と言われていたのにです。
そして、人は自分の何を評価していたのかと考えたそうです。
自分という人間を支えているバックボーンは何なのか、自分は人からどういう人間に見られたいのかと。
自分はなぜこの贅沢をしたいのか、自分にとって本当の贅沢とは何なのかを検証することを勧めています。
高級車や高級ブランド品を持ったとしても、それが自分に対する周りの評価においてどうなのかと。
ビジネスマンの場合、その人の価値は仕事の中に実質があるものです。
何かによって自分が認められたいのかとなったら、高級車や高級ブランド品を持つ満足は、それとは別の話しです。

モノに依存した価値観が崩れ始めている今だからこそ、本当の自分を磨けるチャンスかもしれません。
それこそ消費に頼っていた経済成長、消費生活から脱却し、それが「美しき停滞」に繋がるのだと思います。

Posted by kanzaki at 2008年12月27日 16:08