2009年06月19日

パワフルじいちゃん葛飾北斎

葛飾北斎は、私の生きたい人生を実践したかような人だと思います。
「日経ビジネス」の最新号に、パワフルじいちゃん北斎の事が書かれていました。

●葛飾北斎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E9%A3%BE%E5%8C%97%E6%96%8E

葛飾 北斎(葛飾 北齋 [1]、かつしか ほくさい。宝暦10年9月23日?〈1760年10月31日?〉 - 嘉永2年4月18日〈1849年5月10日〉)は、日本の近世にあたる江戸時代に活躍した浮世絵師であり、とりわけ後期、文化・文政の頃(化政文化)を代表する一人。 代表作に『富嶽三十六景』や『北斎漫画』があり、世界的にも著名な画家である。


この人には物に対する執着心がありません。
それどころか、まず「名前」に執着心がなく、彼は生涯に30回(50回かも)も改号をしていたそうです。
お金に困ると、北斎は自分の名前を弟子に売り飛ばしていたのです。
この有名な「北斎」という名前すら売ってしまい、自分は「前北斎」と真面目に名乗っていました。
「元プリンス」の元ネタは、はるか大昔に存在していたのだ!!

暮すのはボロ長屋。
いつも藍染めの木綿をまとい、冬はその上に半纏を着ただけ。
外出の際は羽織を着た事がありませんでした。
食事は全て仕出し屋で済ませ、酒は飲まない、タバコは吸わない。
唯一の楽しみは福餅を食べることぐらい。

これだけ有名な人ですからお金も入っては来るのですが、そのお金にとらわれることもありませんでした。

彼がこだわり、追い求めていたのは唯一つ。
それは、画業を極めることでした。

彼の破天荒な生き方はWikiをご覧になれば分かるかと思います。
こんな生き方が出来たのは、彼が頑丈な肉体だったからです。
江戸時代には珍しく90歳近くまで生きた人です。
その健康の源はやはり、絵への情熱に尽きると思います。

67歳で脳卒中になったのですが、柚子をすりつぶして日本酒に溶かして飲む自家療法で治してしまいました。

彼の代表作「富嶽三十六景」は70歳を超えて描きはじめたものです。
後世、それを見たゴッホが賞賛し、ドビュッシーが交響詩『海』を作曲するなど、西欧の芸術家に多大な影響を与えました。

彼の芸術が完成したのは70歳以降。
「七十歳前に描くところは実に取るに足るものなし」と本人も言い切っています。

脳卒中すらぶっ飛ばすその最良の薬は「やる気」なんでしょうなあ。
多分、北斎は天才ではなく、根性で独自路線を築き、既存の概念をくつがえしてしまった努力の人なんだと思います。
そして、それは嫌々やらされているのではなく、本当に自分が追い求めているものだからこそ、他には目もくれずに芸術の道を突き進んでいったのでしょう。
「病は気から」「気は病から」等と言いますが、病気をもはねのけるパワフルじいちゃんが大昔にいたと言う事に驚かされます。
破天荒なキャラの北斎を描いたドラマや漫画を見てみたいし、こんなじいちゃんになってみたいものです。

hokusai02.JPG

古町の街灯に、またまた発見。
今度は望遠鏡で眺める紳士です。
彼のあくなき探究心は、北斎並みかな?

Posted by kanzaki at 2009年06月19日 23:24