2009年12月05日

「坂の上の雲」の兄・秋山好古に見る「単純明快」

NHKの21世紀スペシャル大河ドラマ「坂の上の雲」の第一話の見所は、紅顔の美少年だった秋山好古(あきやまよしふる・主人公の兄)が成長し、北斗の拳のケンシロウみたいな姿格好の阿部寛さんになったことでしょうか(お
しかも他人様から見れば、ある意味変人になっていますし・・・。

ちなみに、その紅顔の美少年だった秋山好古を演じたのは染谷将太(そめたにしょうた)さん。
どっかで聞いた事のある名前だと思ったら、ドラマ「相棒 Season1」の第5話にて、ボウガンを使って人殺しをした少年役の子でした。
この人も将来、いろんなドラマや映画で活躍しそうな予感です。

さて、大人になった好古のキャラですが、劇中でも一番際立っていました。
変人と書きましたが、彼が弟・秋山真之(あきやまさねゆき、主人公・演:本木雅弘さん)へ言う台詞の数々は、非常に印象的でした。

東京に来た真之の学費を工面したり弟思いの性格であるが故に、父親以上に厳しく教育しています。

例えば、真之が一年経ったら大学を受験をしようと思うと話します。
そうそう簡単に入れるほど甘くない受験だと本人も自覚していたのですが、それに対して兄・好古はこう言いました。

「勝てる喧嘩をしろ」

それに対して弟・真之は自信無さそうに「必ず勝ちます」と言います。

また、兄のやっかいになっているのは悪いと思い、別の方法を伝えると、

「お前は間違ごうとる。金の事で他人様にやっかいになれば、その分だけ気が縮んで支障が出る」

と反論しました。

好古は茶碗をひとつしか持たない質素な生活を送っていました。
彼は酒を注ぎ、ぐっと飲むとその空茶碗を弟へ渡しました。
弟はそれで飯を食います。

好古は「我が家に茶碗がひとつしかないか分かるか? 金が無いからではないぞ」と言います。

決して貧乏だからではありません(住まいや着る物は貧しさそのものですが)。
好古は一身独立することが男子の仕事だと主張し、あえて身辺を単純明快にしていると伝えます。

「何事も単純であれ、悩むな、絞れ」という兄・好古の考えは、弟・真之の人生に多大な影響を及ぼします。

劇中のエピソードとして、弟・真之が新聞を読んでいるとそれを取り上げて破いてしまうシーンがありました。

「新聞はお前にはまだ早い。己の意見もない者が他人の意見を読むと害になる」

雪の季節に田舎の母が、寒いだろうと温かい足袋(? 今で言えばブーツ)を送ってくれました。
弟・真之がそれを履いているのを見た兄・好古は、

「脱げ! 贅沢じゃ! 身の回りはなるべく質素に!」

と言って脱がせます。
身辺は単純明快でいいという考えです。

また、朝に弟・真之が、下駄の緒が調子悪くもたもたしていると、そのまま裸足で学校へ行かせたりもしていました。

兄は、なかなか面白いキャラではありますが、ちゃんと理由もあるし、それによって弟が成長できますよね。
私はこの兄の考えである「何事も単純であれ、悩むな、絞れ、勝つ喧嘩をしろ」という考えに賛成です。

神ナナを何年も読んでくださっている読者の方ならばご存知のとおり、私の考えは、「スローライフ」→「シンプルライフ」→「足るを知る」と変化していきました。

京都市にある龍安寺(りょうあんじ)には「知足の蹲踞(つくばい)」があります。
蹲踞とは、茶室に入る前に手や口を清めるための手水を張っておく石のこと。
蹲踞には「吾唯足知」(われ、ただ足るを知る)の4字が刻まれています。

●龍安寺 その他の文化財 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E5%AE%89%E5%AF%BA#.E3.81.9D.E3.81.AE.E4.BB.96.E3.81.AE.E6.96.87.E5.8C.96.E8.B2.A1

「足るを知る」とは、「足るを知る者は貧しいといえども心は富んでいる、足るを知らぬ者は富めりといえども心は貧しい」ということ。

兄・好古の考えに通ずるものがあるように思います。
兄の持論である「単純明快」という言葉ですが、将棋棋士の羽生善治(はぶよしはる)さんを思い出しました。

羽生善治名人と言えば「決断力」。
自らの思考回路を「『木を見て森を見ず』とは逆の大局観、直感、読みの三つで考えている」と説明しています。
また、将棋の最初の局面では80ほどある手の中から2、3にしぼることを例にあげ、「見切ることが大事」としています。

この「直感」とは、単なる「当てずっぽう」ではなく、「経験の積み重ねから自然に浮き上がってきたもの」だそうです。
また、「情報は捨てる方が重要」だそうで、どうも羽生善治名人の考えというのは、秋山好古そのものではないかと思えてならないのです。

以上にあげた人々は、誰もが知る有名人であり、とても我々のような凡人には関係が無さそうに感じます。
しかし、それは逆だと思うのです。

私の行っている仕事の一つに株式関係の処理があります。
上場企業は株券の電子化が為されましたが、非上場・非公開の会社は今までどおり、紙媒体の株券を使って処理をします。
株券が紙であり、更に大昔から続く仕事で、携わる人間が少ないものですから、処理の流れは昔と変わりません。

勿論、要所要所のデータ作成はパソコンを使いますが、株券の裏書や株券台帳は手書きに頼るしかありません。

先日、株券を約200枚ほど名義書換をしなければならない事がありました。
普通にやったら、とても一日では終わりません。
けれど実際は、3時間程度で終わりました。

どうやったかと言いますと、「作業を単純明快」にしたのです。
一枚の株券の裏書をするのに、株券台帳やら株主台帳も同様に記入しなければいけないし、至るところに捺印・割印が必要です。
その一連の作業をした後に、また次の一枚、そしてまた次の一枚と作業を繰り返したら、いつまで経っても終わりません。

まず、仕事を要素分解しました。
そして同じ作業はひとまとめにしました。
例えば、株券の裏書をする際、どの株券も縦書き・横書きの違いはあれど、新しい株主名、処理日を記入します。
予め、株主名の判子や日付の判子を用意しておき、全ての株券に捺印しまくるのです。
単純作業ですから、間違えることも無いですし、いちいち考えながら作業をする必要もない。
とにかく押しまくる。
単純作業は、やればやるほど正確で早くなります。

株券台帳だって大抵は、日付、住所、氏名、担当者捺印などがありますし、例えば商号変更による書き換えだったら、書き換え理由として「商号変更」と記入しなければなりません。
だから予め、住所、氏名、商号変更などをまとめて一つの判子で作成してしまえばいい。
それだけで記入(捺印)が早くなり、しかも書き間違えが起きない。
単純が故にいちいち悩まない。

実際に作業をやっていた際、秋山好古の「何事も単純であれ、悩むな、絞れ」という言葉の意味を実務レベルで理解しました。
要素分解とは、解決可能な要素に分解して考察する事で、17世紀にデカルトが『方法序説』で示した原則の一つ。
分解して単純化していくと、他人に仕事を任せるときにも教えやすいし、相手も覚えやすい。
一つ一つは単純でも、それらの積み重ねで大きな仕事を完遂させる事が出来ます。

仕事のマニュアルを作成して、各従業員へ教える事が度々あるのですが、誰もが簡単・確実に理解して貰うための書き方みたいなものを何となく理解できたように思えます。

来週からの仕事は、秋山好古の考えをベースにやってみることにしましょう。
そう言いつつも、今日の神ナナは、いつものようにダラダラと長文を書き綴るのでありましたorz


●神崎のナナメ読み: 小説「坂の上の雲」の主人公・秋山真之(あきやま さねゆき)に見る勉強術、読書術
http://kanzaki.sub.jp/archives/001998.html

Posted by kanzaki at 2009年12月05日 21:04