2010年08月28日

心に残った通夜の挨拶状

親戚に不幸がありました。
通夜には、母が行きました。
母が帰宅すると、通夜でいただいた挨拶状を見せてくれました。


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皆様とのご縁や絆こそ母の『宝』謹んで御礼申し上げます

母 ●●●●は、平成●●年●●月●●日
人を愛し、人様に愛して頂いた享年九十歳の生涯をとじました。
芯の強い、子の私達から見ても とても気丈な母でした。
戦中戦後の激動の時代を乗り越え、三人の子を育て上げるには多くの苦労もあったことと思います。
父を支え、自身も五十五歳くらいまで勤めに出て家族に尽くしてくれた母には、ただ感謝の他ありません。
孫達が小さい頃は盆や正月に集まり「●●町のおばあちゃん」と慕われ、ニコニコ微笑んでいたものです。
平成●年には父に先立たれましたが、寂しさに負けず今日まで歩むことが出来たのは、ご近所の皆様のおかげ。
家に親しい方を呼んでは、お茶を飲み話に花を咲かせ、また小さな菜園で採れた野菜を皆様に配るのも、何より楽しみにしておりました。
この場をお借りして、母と触れ合い、楽しい思い出を紡いで下さった全ての皆様へ、深く感謝申し上げます。
本日のご会葬、誠にありがとうございました。
略儀ながら書状をもって厚く御礼申し上げます。


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私と母は、この挨拶状を読んで、とても好感を持てました。
通常の挨拶状というのは、どれも決まりきった定型文章です。
しかしこの挨拶状は、喪主である息子さんご自身の言葉で書いてあります。
内容も他の人では書けない、亡き自分の母への感謝、そして周りの人達への感謝で満ち溢れています。
こういう明るく優しい文面の挨拶状を見たことがありません。
これは、亡くなったおばあちゃんの人柄がそうさせたのでしょうね。

母によりますと、亡くなったおばあちゃんは、この挨拶状に書かれている通りの誰からも好かれる人だったそうです。
癌だったのですが症状が現れず、全く苦しむことがありませんでした。
ある日突然、調子が悪くなり、即日入院して数日後に亡くなりました。
闘病による苦しみ等は一切ありませんでした。

きっちり型にはまった、文章としても全く間違いのない、昔ながらのかたい文章も良いとは思います。
けれど、そういうプロの文章だからといって、みんなの心に響くかというと、そうではありません。
優しさや温かというのは、決してプロだから表現できる訳じゃない。
結局そういったものは、そういう事を感じさせる生き方をした人にしか表現出来ないのだと思います。
亡くなったおばあちゃんも、喪主の息子さんの人柄も、この限られた文面にちゃんと滲み出ていますよね。

私もカメラマンとして、そしてライターとして、単にスキルだけが高いような人間にはなりたくありません。
人の優しさや温かさを感じさせるものを伝えていきたいと思います。
それにはやはり、人生をゆっくりとでいいから、しっかり歩んでいかないといけませんね。

Posted by kanzaki at 2010年08月28日 22:08