2010年09月28日

「人は努力している間は迷うに極まったものである。」「意志の力で成功しない時には好機の到来を待つほかない。」

koukinotourai01.JPG
※Stopped; is there it? No, we begin to be going to walk it.

この半年間、観るのが日常習慣だった「ゲゲゲの女房」が終わってしまいました。
あの画面から溢れる穏やかな空気は、ストレスに苛まされる私の良いオアシスでした。

ドラマの後半、水木先生の娘は成人して、小学校の教師をしていました。
張り切って児童たちと向き合っていたのですが、とても大きな問題に直面してしまいました。
とても落ち込んでしまい、学校を辞めようかとも考えました。

元々、水木先生は、娘を学校の教師にするのは反対でした。
自分のプロダクションの仕事をさせたいと思っていましたし、学校の先生は転勤が多く、自分の手元から遠く離れるからです。

娘が先生を辞めたいと思っているのですから、これはある意味、水木先生にはチャンス。
そのまま、辞めさせるのも手です。
しかし水木先生は、娘の部屋へ、とある言葉を書いた紙を貼りました。

「人は努力している間は迷うに極まったものである。」
「意志の力で成功しない時には好機の到来を待つほかない。」

これは、水木先生の仕事場にも貼ってあるゲーテの言葉です。
若い時、「ゲーテとの対話」という本を暗記するぐらい何回も読んだそうです。
水木先生は娘にこう話しました。


好きな事をして生きるのはええ。
けど、好きと楽する事とはちょっこし違う。
苦しい時や嫌な事があっても、それでもやらずにおられんのが本当に好きな事だ。
だけん、迷ったり、悩んだり、落ち込んだり、苦しい思いもしてみん事には、好きな事は何なのか本当は分からんのだよ。
人は神さんではないけん、世の中を思いどおりには動かせん。
やるだけやってもうまくいかない時は、ほれ(紙を見て)"好機の到来を待つほかない"。
人間にできるのは、それだけだ。
(娘に顔を向け)ほい!
闘わずして土俵を下りるのが一番つまらんぞ。


この言葉がきっかけで、娘は再び先生として頑張ったのでした。
戦地で片腕を失い、40歳になるまでは鳴かず飛ばずの漫画家生活をしていた水木先生が言うからこそ、非常に重みがありますね。
未だにひょうひょうとした語り口で元気な先生の根っこには、こういうものがあるのですね。

そういやこの文字が書かれた紙は、ドラマの序盤でも仕事部屋に貼られていました。
そこにはゲーテの言葉として「自分自身を知るのは、楽しんでいるときか悩んでいるときだけだ」というのもありましたね。

よく「自分探しの旅」とか言って、海外とか遠くへ出かける人がいますが、元々そんな遠くの場所に自分自身はいません。
自分は今、ここにいる。
けれど、いるだけじゃ分からない。
一生懸命何かをやっている時、それが分かるのでしょうね。
これは、「神の視線」なのでしょうか。
否、私は違うように思います。
カッコ悪くても、もがきながら「自分の視線」で見つめ、考えるからこそ達観できるんじゃないでしょうかねえ。

大自然とか、雄大な景色を前にして「人間はなんて、ちっぽけなんだろう」と感想を漏らす人がいますよね。
私は逆に「小さな人間でも、こういう凄い場所に来ることが出来るんだ。なんて人間は凄いんだろう」と思います。

私もまだ、土俵をおりる時じゃない。

Posted by kanzaki at 2010年09月28日 20:20