2011年02月06日

俳優・児玉 清さんが考える「他人の意見」と「自分の決意」

昨晩は久々にスーパー銭湯へ行ってきました。
露天風呂につかりながら空を見上げると、幾つかの星が見えます。
そういや最近、上を見上げることを忘れていたような。
昨日まで早出出勤が続いていたせいか、本日は丸々一日寝ていました(銭湯効果?)。
気づけば、もうこんな時間。
明日の仕事の為に、もう寝ないといけませんorz

※※

(財)産業雇用安定センターの「かけはし」という冊子に、俳優・児玉 清さんの巻頭言が掲載されていました。
当初、東宝映画専属俳優でしたが、後に東宝を退社してフリーになった時の事を書いていました。

●児玉清 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E7%8E%89%E6%B8%85

専属をやめてフリーになると宣言した瞬間、いろんな人から「やめるな!!」という忠告が殺到したそうです。
「専属料が無くなったら、どうやって月々の生活を保障するのか?」
「せっかくの専属料を捨て、なぜ敢えて先行き不安なイバラの道を選ぶのか? バカじゃなかろうか?」
等と「やめるな!!」のシュプレヒコールだったそうです。

しかし、児玉さん自身は「俳優は本来一人で生きるべきだ。いや、本来そうあるべきだ」とかたくなに思い込んでいたそうです。
外に出て駄目な俳優だったら、東宝の中にいても駄目じゃないかと、自分自身の本能がさかんに訴えていたそうです。
どうせ駄目なら、自分の思っていることで失敗しようじゃないかと決意し、昭和42年4月、フリーの道へと自分の人生を賭けました。

その後の活躍は皆さんがご存知のとおりです。
あれだけ「専属でいろ!!」と忠告していた人達が、ケロッと前言を忘れて、誰もが「君、いいときに専属をやめたね」と褒めてくれたのには驚いたそうです。
いったい、あの忠告と助言の嵐はなんだったんだろうかと。
暫し呆然とした事が懐かしいそうです。

そういう事もあり、他人の忠告は、ひとつの意見として恭(うやうや)しく聞くだけにとどめているそうです。
自分の道は自分で決める。
これが人生の鉄則だと常に肝に銘じて生きているそうです。

上司や先輩、仲間や友といった他人の忠告や助言に耳を傾けるのは結構だが、絶対な信頼を置かない・・・それが児玉さんの考えです。
他人は一杯、良いことを言ってくれます。
それは間違いない事実。
だから、ありがたく聞くべきです。
しかし、自分の人生は誰が決めるのではない、自分自身が決めるのだという事を忘れてしまうと、とんでもない後悔に身をゆだねることになりかねません。
なぜなら、忠告・助言をしてくれる人は、どこまでも他人なのだから、根底には無責任さの自由があるからです。
さらに言えば、成功しようが、失敗しようが、所詮は他人の人生。
このことをしっかりと根っこに据えて聞かないといけない。
他人は無責任なのだから。

※※

児玉さん自身が体験しているからこそ、上記のような考えをお持ちなんですね。
私の場合は、その対極にある「ミニマックス」という考えです。

●ミニマックス法 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E6%B3%95

ミニマックス法(minimax)は、想定される最大の損害が最小になるように決断を行う戦略のこと。将棋、チェスなどといった完全情報ゲームをコンピュータに思考させるためのアルゴリズムの一つであり、それらの中で最も基礎となるものである。 これに対し、想定される最小の利益が最大になるように決断を行う戦略はマクシミン戦略という。

いろんな人から意見を求め、それらを吟味し、被害が最小限になるように実行します。
大学の経営組織論の授業で、今でも唯一覚えている内容です。

これの悪い点は、色んな人の意見を調整しなくてはならず、あーだこーだと頭の中で色々と考えているうちにストレスで胃が痛くなることでしょうか。
仕事自身は被害最小限で実行できますが、私の体はボロボロになるという諸刃の剣です。

最近は自分自身の「調整弁」としての機能に限界を感じています。
専門的な能力や交渉力に限界を感じ、仕事を別の人へ振ることも増えました。

組織の中で仕事をしている訳ですから、自分の考えを押し切って進める事はなかなか難しいです。正直。
自分の能力では無理な事も沢山ありますし。

けれど、「自分の人生」については、他人に委ねることはしないようにしています。
若い時は、大人の意見を尊重して選択していました。
それは、それで間違いは無かったと思います。
しかし、自分自身が大人になった今、「自分の人生」について自分以上に知識を持ち合わせた人は誰もいません。
何かを選択する時、自分で決めた選択が最も良い選択だと思います。
人に聞くのは、あくまでも確認のためだけ。
頭の中で答えを既に用意していた上で、他人に聞く。
それは、決めた選択に不安を感じているからではなく、何か重要な見落としをしていないかをチェックしてもらうためです。
仕事でもそうですが、ミスの多くは見落としです。
事前にその項目を意識してチェックしていれば、大きな間違いはないものです。
しかし、そもそも、その項目自体の存在を忘れていたら、チェック・選択のしようがありません。
その為だけです。

残された人生ぐらい、自分の意思で選択して生きていきたいものです。

Posted by kanzaki at 2011年02月06日 22:35