2011年04月02日

「池上彰の新聞活用術」を読んだ感想・レビュー【3】〜裁判員制度発足で新聞記事の表現が変わった。「視線」か「目線」か業界用語の基礎知識

前回の続きです。

●「池上彰の新聞活用術」を読んだ感想・レビュー【2】〜数字やデータを見る際「何を基準にしているのか?」に気をつけよう
http://kanzaki.sub.jp/archives/002320.html

(第三章・伝える力を磨こう)

●裁判員制度発足で、新聞記事の表現が変わった

池上さんの本を読んで、新聞記事の表現が変わっていた事に、恥ずかしながらようやく気づきました。
今まで、「殺人事件で逮捕した」となっていたのが、「殺人容疑で逮捕し、発表した」という表現に変わったのです。

この「発表した」としたのは、2009年5月21日から始まった裁判員制度に合わせた記事の改革なのです。
裁判の前に、裁判員や裁判員候補者に予断を与えてはいけない事から、事件の捜査情報が確定的な事実であるかのような印象を与えないようにするためです。

警察当局の発表である場合は、「発表した」「発表によると」などと、発表であることを示すようになったのです。
また、新聞社の独自取材にもとづく場合は、「捜査関係者」「捜査本部」などを使って、情報の出どころが分かるような書き方をするそうです。

以前は、「○○であることがわかった」と書かれるだけで、発表なのか、独自の取材なのかソースがはっきりしない表現でした。
読者は気づかない表現の違いですが、実際に記事を書く人が意識するようになっただけでも、良い改善だと思います。

神崎は仕事柄、法務に関係する本、冊子を作成しなければいけません。
法律の改定に伴って、同じ意味でも微妙に表現方法を変えなければいけなかったりするのです。
どうして微妙に表現を変えなければいけないのか?
法律の条文には、私のような庶民でも分かるようには説明されていません。

法律の改定に伴う実務面での変更点は、専門書等で理解する必要があります。
しかし、法改定直後ですと、まだそれに対応した書籍が出回っていません。
対応する為には色々と方法があります。

そんな中、どんな法務担当者も目を通しているのが「旬刊・商事法務」でしょう。
会社法という大きな変革があった時、本当に助かりました。
会社法という大きな海を見渡すための「全体的な地図」と「航海する為の羅針盤」となりました。
リアルタイムで会社法・金商法などを追っかけるのには必需品とも言えます。

・株式会社商事法務 公式サイト
http://www.shojihomu.co.jp/

ちなみに上記のサイトで、東日本大震災に関連する法律問題の対処を無料で公開しています。
ローンで建てたマイホームが地震で全壊した場合の対処や、生命保険の問題など、なるべく分かりやすく解説してあります。
法律は現代を生き抜くための防具であり武器でもあります。
一度、ご覧になられた上で専門家と話し合うと良いと思います。

・地震に伴う法律問題Q&A
http://www.shojihomu.co.jp/0708qa/0708qa.html

・(地震関連)東日本大震災と株主総会 〜喫緊・当面の実務対応〜
http://www.shojihomu.co.jp/school/netseminar110401.html

●視線か目線か。業界用語の基礎知識

「国民の目線に立って」というように「目線」という言葉が、しきりにメディアに登場します。
これは本来、「視線」という言葉でした。
視線には「ものごとをその奥底まで見抜く」「ただしく見通す」という深い意味があります。
目線には、「目をあてている」くらいの意味しかありません。
それならばどうして、「目線」という言葉を使うのでしょうか?

視線ではなく目線。
これは放送の世界で使われた言葉でした。
誤解がないようにという配慮だったのです。

例えば、「シセンをさまよう」というと、聞いている人は「視線をさまよう」なのか「死線をさまよう」なのか、一瞬わからなくなってしまいます。

他にも、大相撲で「横綱にシカクなし」と言うと、「資格なし」なのか「死角なし」なのか、視聴者は迷います。
こういう表現は避けます。

数字でも「約50」と言うと、「ひゃくごじゅう」に聞こえることがあるので、放送界では「およそ50」と言い換える事になっているそうです。

このように、本来は「視線」ですが、放送界特有の言い方で「目線」と言っているうちに、それが定着してしまったのです。

言葉の使い方は「多数決」で決まります。
間違った使用法でも、社会の人が使えば定着するのです。
「ら抜き言葉」の定着も同様です。

池上さんは、視線か死線か紛らわしい場合は目線を使って良いけれど、その他のときは本来の視線を使うべきだし、自身は使うと語っています。

この章は、割かし新聞や報道に携わる側の話しが多かったです。
裏側を知るという楽しみがありました。
上記以外にも、へ〜という感じのエピソードが色々と紹介されているので、実際にお確かめください。

新聞の読者、テレビニュースの視聴者は気づかないけれど、発信する側は色々と意識している事が分かりました。
私が神ナナで書いているような駄文や、ネットの掲示板・ブログ等で書かれる文章との大きな違いは、文章を書く作法・ルールの多さなのでしょうね。
特定の人だけに伝える文章ならば、専門用語を多く用いたり、途中を大きく省いたり、隠語を使っても理解し合えます。
むしろ、お互いのやりとりをスピーディーにするには、そちらの方が都合が良い。

不特定多数の人が相手のメディアは違うようです。
誤解する人がいる、聞き間違いをする人がいる、違った解釈をする人がいる。
そういった事を細かく潰す必要があるようです。
長い年月の中で、色んなトラブルが発生する度にルールを付け加えていったせいなのでしょうね。
こういった感じの事は、一般の会社の中でもよくあることです。
そうすることによって、事務作業が増えていくという辛さがありますが・・・。

メディアという大きな翼にのっかる文章というのは、とても威力が大きいですから、そういった拘束具がないと暴走してしまいがちなので、それはそれで悪くないのかもしれませんね。

(続く)

●次回の記事: 「池上彰の新聞活用術」を読んだ感想・レビュー【4】〜読者の心を引きつける書き出し。洋数字と和数字の違い
http://kanzaki.sub.jp/archives/002322.html

Posted by kanzaki at 2011年04月02日 22:32