2011年04月06日

「池上彰の新聞活用術」を読んだ感想・レビュー【6】〜誰もがカメラマンの時代

前回の続きです。

●前回の記事: 「池上彰の新聞活用術」を読んだ感想・レビュー【5】〜新聞記者の資質として必要なものは何か?読者に対する想像力が大切
http://kanzaki.sub.jp/archives/002323.html

(第六章・見せる力を磨こう)

活字がいくら克明に描写をしても、たった一枚の写真にかなわないことがあります。
新聞記者は、様々な事象を文字だけで説明することの難しさを日々痛感しているそうです。
ですから、一目瞭然で説明してしまうテレビの威力に歯が立たないという悔しさがあります。

テレビはテレビで「新聞はいいよなあ」と思うそうです。
テレビのドキュメンタリー番組などは、そもそも取材を受けてくれる人を見つけるのが大変なのだそうです。
撮影に協力するということは、顔を出さなければいけない。
社会問題を取り上げるような番組に協力したことが分かったら、自分にとって不利になる立場の人が多い。
そういった人に撮影協力してくれるよう説得するだけで、多大な労力が必要とされるのです。

どちらも実際の制作現場は大変なのでしょう。
共に崇高な仕事だと思います。
楽な仕事なんてありません。

2008年に秋葉原で起きた無差別殺人事件。
世間に衝撃が走りました。

●秋葉原通り魔事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E8%91%89%E5%8E%9F%E9%80%9A%E3%82%8A%E9%AD%94%E4%BA%8B%E4%BB%B6

秋葉原通り魔事件(あきはばらとおりまじけん)とは2008年(平成20年)6月8日に東京都千代田区外神田(秋葉原)で発生した通り魔事件である。7人が死亡、10人が負傷した。マスメディアや本件に言及した書籍においては「秋葉原無差別殺傷事件」として報じられることが多い。

先月3月24日、被告に対して死刑が言い渡されました。

●加藤智大被告に死刑判決…秋葉原無差別殺傷 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110324-OYT1T00678.htm

この事件は、日曜日の秋葉原で起きました。
一部始終を一般の方々が、携帯電話やカメラで撮影しました。
新聞に掲載された事件直後の生々しい写真は、こうして撮影されたものです。
現場に居合わせた人達が、みんな「カメラマン」になったのです。

「写真を撮っている時間があれば、応急手当の手伝いなり、救急車の誘導をしたり、何か他にできたのではないか」と池上さんは思いました。

そういった写真を借りて紙面を掲載したのですから、新聞各社は、その行動を批判できません。
そんな中で読売新聞は、被害者のもとを駆けつけ、別の通行人と共に心臓マッサージや人工呼吸を試みた男性を紹介しています。
「写真が趣味で、当日も首からカメラをぶら下げていたが、事件の写真は一枚も撮らなかった。目の前に倒れている人を救助したい一心だった」と、男性のコメントを掲載しています。

記事は、みんなが「カメラマン」になったことを婉曲に批判していました。

この章の最後に、「写真か、救助か」という写真記者の永遠のテーマについて書かれたコラムが掲載されています。

2008年、中国の四川省を中心に起きた地震。
地震発生直後の新聞写真は、自然災害の惨事を雄弁に物語っています。

瓦礫に身体の一部が埋まっている人を一人が必死に引っ張り出そうとしている写真があります。
読者は「カメラマンは、こんな写真を撮っていないで、一緒に救出を手伝えばいいのに」という気になります。

災害現場で被災者にカメラを向ける行為。
救助を求めている人がいるとき、その人に向かってカメラのレンズを向けることが、果たして許されるのか?
決定的な現場であればあるほど、「カメラマンも救助を手伝え!」と叫びたくなる構図の写真を撮影することになるでしょう。
そんなとき、取材者はどうすればいいのか。
とかく興奮しがちな現場で、ときに冷静になって、自分の立場を厳粛に考えて欲しいと池上さんは語っています。

上記の池上さんの文章を読んで、ふと思い出したのが昨日の記事です。

●東日本大震災:「見物人」増加で規制…亘理町が通行証発行 - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/news/20110406k0000m040070000c.html?inb=ra

ガソリン供給や道路事情の改善で東日本大震災の被災地への交通アクセスが改善されるにつれ、被災地への“見物人”が増え始めている。町災害対策本部によると、津波で住宅が流されたり、海岸から離れた場所に漁船が漂着するなど無残な姿の被災地に県外ナンバーの車で乗りつけ、騒ぎながら写真を撮ったりする人が最近になって徐々に目立つようになった。

ボランティアに行った際に撮影した・・・という訳ではないようです。

昨年、夜の祭りを撮影していた時、となりに年配の写真愛好家集団がいました。
みんな、カメラを大きな三脚に固定し、大きなフラッシュも付けています
そして私に向かって、うんちくを語ってきます。
「フラッシュを炊いて、シャッタースピードを稼ぐんだ。兄ちゃんはどうして、フラッシュを炊かないで撮影するんだね。ぶれちゃうだろ?」とか何とか、色々と言ってきます。

私は三脚も使わないし、フラッシュも炊きません。
三脚は通行人の迷惑になるし、フラッシュは祭りの演出の邪魔になるからです。

私が「そんな大きなフラッシュを炊いたら、祭りの演者が眩しくて困るんじゃないですか?」と質問しました。
すると、「そんなぐらい我慢してもらわなければ困る!」と言ってきました。
その返答に私は呆れました。

ふと見ると、すぐ傍を車椅子の方が移動しようとしていました。
しかし、写真愛好家集団の三脚が通路を塞いでる為、その方は通ることが出来ませんでした。
私は撮影をやめ、その方の車椅子を三脚にぶつからないように押し、通してあげました。
その時も、その写真愛好家集団は、我関せずで撮影していました。

仮にその人達が撮影した写真が、コンクールで一等賞をとったとしても、私は拍手をしないでしょう。


(続く・次回が最後です)

●次回の記事:「池上彰の新聞活用術」を読んだ感想・レビュー【7】〜批判は結局、自分に返ってくる
http://kanzaki.sub.jp/archives/002325.html

Posted by kanzaki at 2011年04月06日 21:06