2011年08月22日

お父さんに会いたい〜宮城県仙台市へ行ってきました

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・仙台市の街を歩いた際に見つけた貼り紙(iPhone4で撮影)

ラジオを聴いていると、番組の中で一通のメールが読まれていました。
メールの投稿者は、宮城県仙台市の20代女性。

彼女は、東日本大震災に伴う津波で、お父さんを亡くしました。
お父さんはお医者さん。
患者さんの命を最優先に避難活動をした中、白衣を着たまま他界しました。

彼女は、医者であるお父さんを尊敬していました。
結婚が間近だったのですが、残念ながら花嫁姿を見せてあげることが出来ませんでした。

電車で移動をしていると、ふとお父さんの事を思い出し、涙が出てくることがあるそうです。

「お父さんに会いたい」

そんな自分の心の叫びを携帯電話に入力し、ネット検索しました。
そうしたところ、このラジオ番組が検索で引っかかり、メールで番組へ投稿したそうです。

●NHKラジオ第1 >つながるラジオ >いのちと絆(きずな)のメッセージ
http://www.nhk.or.jp/tsunagaru/inoti

上記はメールの概要です。
詳細は後日、番組の公式サイトに掲載されます。

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・仙台の駅前(iPhone4で撮影)。新潟のバスは銀色ですが、仙台は緑色です。


土曜と日曜、私は宮城県仙台市へ行きました。
高速道路を使って、片道約4時間の行程。

私の会社の仙台支店が、今回の震災で壊れました。
三か月以上にも及ぶ工事で、ついに新しい建物が完成しました。

仮設事務所から新しい事務所への引っ越し作業のお手伝いをしに行きました。
主にネットワーク関連をなんやらかんやら作業してきました。

仙台駅から近くの会社なので、津波の影響はありませんでした。
しかし、相次ぐ揺れにより、鉄筋造りの巨大な建物は、もろくも崩れ去りました。
4月に行った際、その破壊された建物を見て、恐怖を感じました。

建物が新しくなり、仕事と生活の基盤は復活しました。
けれど、器は新しくなっても、そこで働く人々の心までは、回復していません。

従業員に聞くと、地震が起こる度に、心に「怖い」という感情が沸き起こるそうです。
「あの時のように、再び大きな津波が襲ってくるかもしれない」
たとえ小さな揺れであっても、そう考えてしまい、動悸が激しくなるそうです。
特に若い女性たちに、その傾向が見られました。

私が仙台市へ行っている間にも、体感できる程の地震がありました。
3月のあの日以来、何度も余震が続いています。
それを日々、自分の身体で感じているのは、大きなストレスだと思います。

新潟県でも「中越地震」、「中越沖地震」がありました。
地震発生当時に出来たボランティアセンター。
随分と年月は経ちましたが、実はまだボランティア活動は継続されています。
それは、建物の復旧とかではありません。
震災によって受けた心のケアをするボランティアです。

心の傷は、一定の年月が経てば治るというものではありません。
今回の東日本大震災は、新潟の地震を上回る規模です。
心のケアを必要とする人の数は、とても多い事ことでしょう。

笑顔で元気に暮らせる当たり前の日々。
それを実現するには、多くの人たちの協力が必要です。

新潟県もいろんな形で、震災復興に協力しています。
個人レベルでも、いろんな人たちが力を貸しています。

アナウンサーの伊勢みずほさんは、震災直後から定期的に炊き出しをしに、被災地へ行っています。

●宮城県亘理郡山元町|伊勢みずほのオフィシャルブログ
http://ameblo.jp/isemizufo/entry-10978376523.html

●歌津での炊き出し!◆丹棒みずほのオフィシャルブログ
http://ameblo.jp/isemizufo/entry-10964555889.html

路地連新潟の代表である野内さんも、被災地のボランティア活動へ行っています。
昨日、私が仙台から帰る際、高速道路のサービスエリアに立ち寄ったら、偶然にも野内さんにお会いしました。
毎月、「災害日帰りボランティア」に参加されています。
昨日は、宮城県七ヶ浜町へ行かれたそうです。

●みなとまち新潟 日和山 五合目から - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/hiyoriyama5/archive/2011/8/21

お二人ともお疲れ様です。
私はお二人のように凄いことが出来る人間ではありません。
ただ、ただ尊敬するばかりです。

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・仙台市の夜の繁華街(iPhone4で撮影)

仙台市へ行った際、東北各県から来た従業員達とも会いました。
みんなで夜、仙台市の繁華街で飲み、歌い、笑って語り合いました。

宮城県をはじめ、東北のみんなの笑顔を見て、私の方が逆に勇気をもらいました。
笑顔は力の源なんだと思いました。

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・福島県のサービスエリアで撮影(iPhone4で撮影)

仙台の夜は、駅前の「仙台国際ホテル」に泊まりました。
サービスも建物も満足でした。
エレベーターのところへ、黒人の女性の方が案内してくれました。
名前通り、国際的だなあと思いました。
ホテルでは当日、ブライダルを行っていました。
礼服を着た方達がたくさんいました。
震災を経たこの結婚には、更に特別な思いがあったんだろうなあと思いました。

ホテルで、地元の新聞(河北新報)を読みました。
こっちに住んでいた時は、よく読んでいましたので、懐かしい・・・。

一面には「再生へ 心ひとつに」という大きな文字が書かれていました。
被災地ですので、震災に関係した生活関連情報が掲載されていました。
地元のボランティアセンターやNPO法人の情報、就職雇用関連などが書かれており、震災の影響を生々しく感じました。
特に、NPO法人は、心のケアに関連したものが多かったです。
自殺対策支援センターの情報を見ますと、胸が痛みます。

読者からの投稿川柳、俳句が掲載されていました。
やはり、震災に関するものが多かったですね。

●「地割れせし川岸覆うブルーシート切れ目切れ目に野ばらの白し」

美しかった自然がブルーシートに覆われて痛々しいが、野ばらの白さが希望を印象付けます。

●肩までの柱に残る津波跡見たくもなしヤスリで磨(こす)りぬ

家の柱に、津波の跡が残っています。ヤスリでこするという行為に津波への感情が生々しく出ています。

他の作品も、震災後のまだまだ復旧が終わっていない状況をあらわしていました。
言葉が短いが故に、逆にその心の叫びが、読者へダイレクトに伝わってきます。
色に関連した言葉として、青色をブルーシートで表現した作品が多く、とても切なかったです。

震災復興は、まだまだ途中。
明るく希望に満ちた作品が、この新聞に掲載される日まで、私も私なりの方法で、復興のお手伝いをしたいと思います。

※※※

震災による津波で、家族を失った気持ち。
私もわかります。

私の父は船乗りだったのですが、荒れた海で命を奪われました。
行方が見つからず、海の中から発見されるのに何か月もかかりました。

見つからない事への不安は辛いものです。
そして、見つかった時の絶望は、もっと辛いものです。

息を引き取る際の姿を見られない辛さは、もう二度と味わいたくないものです・・・。
もしあの当時、インターネットというものがあったら、私も「お父さんに会いたい」と検索していたかもしれません。

Posted by kanzaki at 2011年08月22日 21:12