産業雇用安定センターの冊子「かけはし」に、「古典に学ぶ」という記事がありました。
バブルの時までと違い、今は格段に生きづらい世の中になっています。
こんな時、道標になってくれるのが「中国古典」です。
※
作家であり中国古典研究家の守屋 淳(もりや・あつし)さんが、「論語」の言葉を解説しています。
「過ちに気がついても改めない、これがほんとうの過ちだ」
(過ちて改めざる、これを過ちという)
非常に共感できてしまう言葉です。
しかしこれを論理式にすると、次のようになってしまいます。
過ち≠過ち
改めない過ち=過ち
理論もへったくれもありません。
しかし我々は共感し、「あっ、いいなあ」と思ってしまう。
どうしてそうなるのか?
孔子はいつの時代も変わらない人間性の本質をレトリック(文彩)を使って言い当てているからです。
その人間性とは何か?
「人は失敗もするが、同時に、それを糧にして成果もあげられる」
この人間観は、ブームになったドラッカーにも、同じような指摘があります。
「決して間違いや、へまや、失敗をしない人だけは信用できない。
そのような人は、食わせ物か、それとも無難なこと、絶対確実なこと、とるにたらないことしか手をつけない人である」(「マネジメント」より)
「経営陣は、判断力に対して報酬を支払われているのであって、無過誤に対してではない。
逆に、自らの過誤を認識しうる能力に対して、報酬を支払われているとさえいえるのである」(「イノベーションと起業家精神」より)
古典を読む意味の一つは、どんなに時代が隔たっても変わることのない「人間性の本質」を言い当てている面があるからです。
時代の変化が速いと、その変化に酔ってしまい、根本を見失いがちです。
その忘れかけていた「根本・本質」をもう一度思い起こさせてくれるのが、古典の役割の一つです。
激流の中、戻るべき岸の役割を果たしているのです。
※※※
今の時代、過ちを認めるって、出来ない人が多いですよねえ。
テレビのニュースを見ているとそう感じてしまいます。
そして恥ずかしながら、自分自身にも思い当たる節があります。
情けない話しですが。
他人は多分、その人の失敗そのものを責めているのではないと思います。
失敗はやり直したり、他の人がフォローすればいい。
責めているのは、その過ちに対する反省の色とか態度なんですよね。
でも、責められている当人には、それが分からない。
責任逃れしようと、ああだこうだと言い訳をしてしまう。
せっかく、他の人が手伝ってやろうと思っているのに、そういう態度のせいで好意を無駄にしてしまう。
言い訳によって逆転をしようと思っても無駄ですよね。
そういう心は、手放してしまいましょうよ。
「断捨離(だんしゃり)」という言葉をよく耳にします。
モノへの執着を捨てて、身の周りをキレイにするだけでなく、 心もストレスから解放されてスッキリする事です。
「過ち」に関しては、「責任」を捨てるのではなく、「言い訳」を捨ててみるのが良いのでしょうね。
「言い訳」という壁を作らなければ、みんなが手を差し伸べてくれるはずです。
書いている自分自身が、早速明日から実行しなければいけませんね。
※※※
●守屋 淳さんのプロフィール
1965年 東京生まれ。
早稲田大学第一文学部卒業。
大手書店勤務を経て、現在は中国古典、主に『孫子』『論語』『老子』『荘子』『三国志』などの知恵を現代にどのように活かすかをテーマとした、執筆や企業での研修・講演を行う。
著書『最強の孫子』は繁体字と韓国語に翻訳されている。
●【中国古典を学ぶ・活かす】作家 守屋淳(もりやあつし)ウェブサイト
http://chineseclassics.jp/
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