2012年04月12日

水戸黄門が笑顔だったのは、「セロトニン(幸せホルモン)」を生み出す料理を食べていたから

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笑顔を連想できる人物に、「水戸黄門」こと徳川光圀(とくがわみつくに)をあげる人もいることでしょう。
ドラマの黄門様はいつも「カッ、カッ、カッ」と笑っていたので、その印象が強く残っています。

食文化史研究家・永山久夫さんは、実際の人物も明るいキャラクターだったと考えています。
理由は、黄門様が好んで食べていた多くが、「セロトニン」というホルモンを生み出す材料だったからです。

セロトニンは別名「幸せホルモン」と呼ばれています。
このホルモンが良く出ると、常にニコニコしていられます。

領民に慕われていたのは、明るく楽しい性格だったからに他なりません。

【黄門様の食事】

セロトニンの材料は必須アミノ酸のトリプトファンです。
カツオの刺し身やカツオ節、大豆製品の納豆や凍り豆腐、味噌、蕎麦などに含まれています。
これらは、黄門様が好んで食べていたと言われています。

茨城県は、徳川光圀誕生の地。
今でも納豆や蕎麦は、茨城県の名物です。
梅花を愛した黄門様は、梅干しも大好きでした。
その為、梅干し入りの吸い物も、よく作らせていました。
梅干しには、血行を良くする働きがあるのですよ。

【第二の人生を謳歌】

普通に「黄門様」と言いますが、「黄門」とは朝廷の官職「中納言」の中国式呼び方です。
ですので、水戸黄門と呼ばれる方は他にもいました。
しかし、「黄門様」と言うと、徳川光圀が一番有名です。

62歳で兄の子に家督を譲りました。
水戸郊外の西山へ隠居します。
梅を好み、「梅里」と号しました。

助さん、角さんと諸国漫遊をするお話しは、講釈師が作った「水戸黄門漫遊記」をベースにしたフィクションです。

しかし、物語同様、たいへんな領民思いでした。
親孝行や善行をした農民がいますと、出掛けては褒賞をしていました。

一方で悪事には厳しく、家臣でも容赦なく処罰しました。
悪をこらしめる黄門さまのイメージは、あながち間違ってはいません。

風流な人で、隠居してからは詩歌をよみ、花を愛で、酒を酌む。
第二の人生を謳歌していました。
享年73歳。
人は自然に逆らない生き方は、長寿の秘訣だと考えていたそうです。

「山や野に遊ぶ鹿も小鳥も、みんなわが友なり」

Posted by kanzaki at 2012年04月12日 19:57