ゆるキャラ「くまモン」で注目の熊本県。
その南部には人吉市(ひとよしし)があります。
江戸時代、「ウンスンカルタ」が日本中で大流行しました。
その後は廃れ、唯一、人吉市にだけ残っています。
一度は途絶えかけた遊びを地元の人々が継承し、毎年全国大会が開かれるまでになりました。
また、「うんともすんとも」の語源とも言われています。(日経より)
●人吉市
http://www.city.hitoyoshi.lg.jp/
●くまモンオフィシャルサイト
http://kumamon-official.jp/
(KIBS「日本で人吉だけに残る遊びウンスンカルタとは?」 - YouTube)
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【ウンスンカルタの遊び方】
ウンスンカルタの代表的な遊び方は「8人メリ」といいます。
4人対4人のチーム戦です。
専用の丸い座布団を車座に囲み、敵味方交互に座ります。
8人が1枚ずつ札を出して、一番強い札を出した人が8枚の札を1束にして取り、この束が多いチームが勝ちとなります。
6枚ある絵札のうち、最も強いのがスン(唐人/スンは最高の意味)。
2番目に強いのがウン(七福神/ウンは数の1の意味)。
「うんともすんともいわない」の言い回しは、この2枚に由来するという説があります。
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【オリジナルはポルトガル】
「頭付(あたまつき)」と呼ばれる絵札には、黄色い背景に赤い鎧の騎士や、紫色の背景に七福神が描かれています。
「グジャ」と呼ばれる数札には、幾何学模様風の剣や貨幣が描かれています。
75枚で1組。
西洋のタロットカードや日本の花札みたいです。
戦国時代、ウンスンカルタは、ポルトガルから伝わった「南蛮カルタ」をベースに、日本で手を加えられたものです。
その為、絵柄も和洋折衷な感じになっています。
江戸時代半ばまで全国で遊ばれていたそうです。
賭け事にも使われていた事から、松平定信の「寛政の改革」によって禁止され、姿を消しました。
なぜだけ残ったのでしょうか?
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【人吉にウンスンカルタが残った理由】
人吉地方では、明治時代から昭和初期にかけ盛んとなり、町内対抗の大会が行われていました。
特に鍛冶屋が集まる鍛冶屋町は、中心地区の一つです。
1日の仕事を終えた人達が、地元特産の球磨焼酎(くましょうちゅう)を飲みながら、賑やかに遊びました。
●球磨焼酎酒造組合ホームページ
http://www.kumashochu.or.jp/
なぜ、人吉地方にだけウンスンカルタが残ったのでしょうか。
相良藩の城下町として栄えた人吉は、九州山地に囲まれた陸の孤島ともいわれました。
700年間、一貫して相良氏が支配したので、独特な文化が残っています。
また、江戸から遠く、禁止令が徹底していなかったらしい。
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【ウンスンカルタの継承】
人吉でも映画やテレビの普及に伴い、ウンスンカルタは忘れられていきました。
昭和40年(1965年)、ウンスンカルタの遊び方が、熊本県の重要無形民俗文化財に指定されました。
しかしその頃、10人ほどの高齢者が遊び方を覚えていただけでした。
人吉観光案内協会会長・鶴上寛治さんが、それに興味を持ち、継承に取り組みました。
学童保育で子供たちに教えたりしました。
今では全国大会が開かれるまでになりました。
今年10月に開催される全国大会は、記念すべき10回目です。
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各地方では、全国にアピールしようと様々な活動が行われています。
アピールの内容として、特産物や伝統工芸、伝統芸能などがあります。
そんな中、昔のカードゲームで注目されているのが、非常に珍しいですね。
しかも、地元の子供たちが、純粋に楽しんでいるのがいいじゃないですか。
「遊びの楽しさを継承する」という姿勢に、とても好感がもてます。
今後も、頑張るのではなく、大笑いして楽しんで欲しいと思いました。
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