2013年03月22日

戦国武将・宇喜多秀家(うきたひでいえ)の長寿食は「アシタバ」〜関ヶ原を戦った大名の中で、一番最後まで生きた人物

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今日は、宇喜多秀家(うきたひでいえ)の長寿食は「アシタバ」というお話し(食文化史研究家・永山久夫さんの解説)。


●宇喜多秀家 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%96%9C%E5%A4%9A%E7%A7%80%E5%AE%B6

宇喜多 秀家(うきた ひでいえ)は、安土桃山時代の武将・大名。豊臣政権下の五大老の一人。通称は「備前宰相」。大名家としての宇喜多氏最後の当主であり、備前岡山57万4,000石の大名。


ご存知、関が原の合戦。
宇喜多秀家は西軍の副大将として、東軍の徳川家康と戦いました。
同じ豊臣一門である小早川秀秋の裏切りで、西軍は総崩れとなり、宇喜多隊は壊滅しました。


結果、西軍が負けました。
秀家は戦犯として八丈島へ流されます。
そこで悟りを開き、ゆうゆうと島の生活になじみ、貧苦の生活ながらも、84歳まで生きました。
島の生活は50年にもなります。


関が原の宿敵である家康は、既に75歳でこの世を去っていました。
秀家は合戦では破れたものの、寿命では敵方の誰よりも長生きをしたのです。


秀家は八丈島の地理条件を調べ、適応していきました。
当時、八丈島は「鳥も通わぬ」と言われるほど不便な土地でした。
食料事情も過酷。
水を引く川が無いので、水田もありません。
畑で作ったアワやキビなどの雑穀を主食にして、海や山で調達した天然食材で、日々の食事をまかなっていました。


実は八丈島には、特産品がありました。
「アシタバ」です。


●アシタバ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%82%BF%E3%83%90


アシタバは「明日葉」とも書くとおり、今日摘んでも明日には、また新しい葉が出るほど生命力が強い植物です。
八丈島を中心に、伊豆七島に多く自生しており、日本原産のセリ科の一種です。


江戸時代、八丈島に送られた流人たちが、健康を保つために食したのが、アシタバのはじまりと伝えられています。
それ故、「八丈草」とも言われています。


秀家は、このアシタバと雑穀で雑炊を作ったり、海を泳ぐカツオを刺し身にしていたことでしょう。



最近、このアシタバが注目されています。
理由は、「長寿草」と呼ばれるぐらい、栄養が豊富だからです。


アシタバには、カルコンという成分が含まれています。
これは、抗菌やガン予防、血行促進などの作用があります。


また、細胞の老化を防ぐカロテン、免疫力を強化するビタミンC、骨を丈夫にするビタミンKなども豊富です。


※※※


宇喜多 秀家は、容姿端麗で、身長170cmという美丈夫でした。
関ヶ原を戦った大名の中で、一番最後まで生きた人物です。


これだけ長生きしたという事は、適度な節制なる食事も悪くないようです。
アシタバや地元の食材のおかげで、贅沢ではないけれど、健康面は維持できたのですから。


今は飽食の時代。
日本中どこでも、たくさんの食材が手に入ります。
食べ過ぎたり、栄養過多で、かえって体を壊してしまいます。
誰でも長生き出来るようになりましたが、「健康で長生き」とは必ずしも言えません。


適度に不便で、自分でなんでもやらなければいけない環境の方が、実は体には良いのかもしれませんね。

Posted by kanzaki at 2013年03月22日 23:35