2013年04月09日

「大器晩成」は「大人物は完成までに時間がかかる」という意味ではない。いつまでも未完だからこそ大器なのだ

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日曜17時より、「宇宙戦艦ヤマト2199」がスタートしました。
シリーズ第1作目のリメイクです。
初代に対するリスペクト感が凄く感じられます。
次週予告の、地面からヤマトが出現するシーンにゾクゾクしましたよ。
視聴率も良かったので、大人も観たのでしょうね。

ヤマトブームの真っ只中、映画館で観たのを思い出しました。
満席で座席に座れず、通路に座って家族で観たものです。
まだ子供だった私ですが、ハードな世界観に夢中でした。
子供の理解力って、案外あなどれないものですね。


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【大器晩成とは?】


老子が書いた「老子道徳経(一般的には「老子」)」に、「大器晩成」という言葉があります。


「大器晩成」は普通、「大人物は完成までに時間がかかる」と解釈しますよね。
「大器」は偉大な器量をもつ人。
「晩成」は多くの時間を費やして成就すること。


しかし日本の東洋学者・金谷治さんは、翻訳書「老子」にて、こう書いています。


「それは老子の真意ではない。
むしろいつまでも完成しない、その未完のありかたにこそ、大器としての特色がある。
できあがってしまうと形が定まり、形が定まれば用途も限られる。
それでは大器ではなかろう」


●Amazon.co.jp: 老子 (講談社学術文庫): 金谷 治: 本
http://amazon.jp/dp/4061592785


真の大器とは、生涯成長し続ける人物のことなのですね。
「青草も燃える」等の著者・矢野弘典さんは、この考えを卓見だと解説していました。


※※※


【あえて未完成】


日光東照宮の陽明門には、「逆柱」があります。
柱の中の1本だけ、彫刻の模様が逆向きになっているのです。
間違えて逆向きにしたのではありません。
「建物は完成と同時に崩壊が始まる」という伝承があります。
それを逆手にとり、わざと柱を未完成の状態にすることで災いをさけているのです。


鎌倉時代の「徒然草」には、完全なものは決して良くないから、内裏を造る時、必ず1か所は造り残しをすると書かれています。
また、江戸時代では家を建てる際、「家を建てるとき瓦を3枚残す」と言いました。


優れた能力と惜しみない努力で、究極の建物を作ろうとしている人たちが、あえて完成させないというのが興味深いですね。


魔除けとかの意味合いもあるけれど、本当は自分自身を老子の考える「大器晩成」にしたかったのかもしれません。
完成したら、もうそこで歩みはおしまい。
けれど未完成ならば、まだまだ手を加えることが出来る。
自分の才能は、これで100%だと思わないことで、更に上へ目指そうという心意気なんじゃないかなあ。


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【このまま進もう!】


今の時代、広く万遍なくやるより、どれか一つに集中して能力を開花させた方が、若くして世の中に認められる風潮があります。
そういや昔から、「神童」という言葉がありますね。


一方、私は何にでも手を出して、自分でやってみたくなる気質です。
限られた時間の中で色々やるのですから、どれも進歩が遅いです。
「○○のことは、神崎に任せろ」「○○といったら神崎」みたいなものがありません。


「この歳になって、いまだに何ひとつ極めていないのは、一体どうよ? 手広くやりすぎでは?」
そんなことを考えていました。
いろんな事から手を引き、縮小していく中で、道を絞ろうとしていました。


どうやらその考えは間違っていたらしい。
むしろ、オッサンになっても、いろんな事にチャレンジしていき、自分の可能性を広めていく事が「大器」なようですね。
実際に自分が大器だったかは、棺桶に入ってから、他人に決めてもらえばいい。
今は、進んでいくだけです。

Posted by kanzaki at 2013年04月09日 23:34