今日で震災から2年半だそうです。
テレビでは、さまざまな関連報道がされていました。
1年ではなく半年単位。
復興がなかなか進まない中、確かに1年単位では忘れられてしまう可能性があります。
だから、半年単位でよいのかもしれません。
私は数年間だけ、宮城県石巻市に住んでいたことがありました。
わずかな期間ではありますが、ひょっとしたらその時に、私自身が震災に遭遇していたかもしれません。
港のすぐ裏でしたしね。
※
仙台市から石巻市へ行くのに、各駅停車の電車で行くと、物凄く時間がかかりました。
なので、いつもマンガや小説を買ってから電車に乗っていました。
石巻市は、なぜかもの凄く風が強く、自転車を漕いでも、前へなかなか進みませんでした。
魚の腐敗臭が定期的に町を覆い、臭いの記憶が未だにこびりついています。
自衛隊の飛行機が、いつも低空で飛んでいるのが見えました。
「めしのはんだや(仙台市が本社)」というセルフ方式の食堂が近所にありました。
300円も払えば、腹が満腹になりました。
御飯の量が半端ではなく、大盛り(800g)を頼もうとすると、店のおばちゃんに怒られるぐらいでした。
近くに、お好み焼き屋があり、閉店間際に食べに行くと、売れ残った焼き鳥などをもらっていました。
家賃、水道光熱費、食費など全て込みで、毎月6万円で生活していました。
けれど、貧しさは感じなかったです。
※
そして今、私はこうして生きています。
新潟県民の特性として、「何も増やさないし、何も減らさない」というものがあります。
だから、昔からの大きな港町なのに、神戸や横浜のように発展はしませんでした。
逆に考えれば、誰かの不幸な犠牲もなく、平穏に過ごせる町でもあります。
「何も増やさないし、何も減らさない」というのは、私の人生そのものかもしれません。
別段、派手な出来事もなかった代わりに、大きな病気や悲しみもなかったですから。
私は評論家でもないし、活動家でもありません。
だから復興について、なにかメッセージを言える立場でもありません。
今、自分がこうして生きている意味を自分なりに心の中で整理してみようと思います。
きっと、その答えを誰にも言わないと思うけれど。
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