2014年02月23日

闘う建築家・安藤忠雄さん〜建築物に「考える人間をつくるべきだ」というメッセージを刻み込む男

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安藤忠雄さんは、世界的にも有名な建築家です。


●公式サイト:安藤忠雄 Tadao Ando
http://www.tadao-ando.com/


●これだけは見とけ!安藤忠雄 の建築16選 - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2133925211461580001


●安藤忠雄 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%97%A4%E5%BF%A0%E9%9B%84

安藤 忠雄(あんどう ただお、1941年(昭和16年)9月13日 - )は、日本の建築家。 大阪府大阪市港区生まれ、同市旭区出身。一級建築士(登録番号第79912号)。東京大学名誉教授。21世紀臨調特別顧問、東日本大震災復興構想会議議長代理、大阪府・大阪市特別顧問。


安藤さんが育ったのは、大阪の長屋です。
17歳でプロボクサーライセンスを取得しましたが、能力の限界を悟り、建築家を目指しました。
祖母に育てられた安藤さんは、大学へは進学せず、独学で知識を身につけました。


日本人の一番の原点は、礼儀にあると思います。
昔から四季を捉える高い感性を持っていて、それが生き物に対する優しさ、愛情を磨いた。
そこからスタートしないと人間が形成されない。
だから、"礼儀正しい生活"ができるかどうか。
"自分で考えて生きる"ということを建築に表現したいと思ったわけです。


人々は、科学技術に支えられた合理的で快適な生活を求めました。
その時流に逆らうように、出世作「住吉の長屋」が生まれました。
3軒長屋の真ん中をカットしてコンクリートの箱を挿入したもので、平面の中央3分の1が中庭です。
そこに入ると日光と風だけで、環境負荷ゼロの家を作ったのです。



「住吉の長屋」は当時、もすごく評判が悪かった。
住み手に不便を強要するなんてとんでもないと。
でも、寒い時には1枚シャツを着るなど、限られた条件の中で工夫して生きていくのが、本来の生活のあり方です。
便利さだけが、理想の生活や幸福を与えてくれるわけではありません。


1979年、「住吉の長屋」は日本建築学会賞を受賞しました。
以降、数々の住宅や商業施設、公共建築を手がけてきました。


子供のための建築としては、福島の「絵本美術館」や「兵庫県立こどもの館」など。
阪神・淡路大震災の鎮魂と復興の祈りとしては、「淡路夢舞台」など。
環境に配慮した自然換気システムとして、東京地下30メートルに広がるタマゴ型ワンルーム構成の「東急東横渋谷駅」。


私は、建築を通して「考える人間をつくるべきだ」ということを、社会にずっと発信してきました。
「住吉の長屋」を原点に、40年間つくってきた建築は、根底にすべてこのテーマがあります。
だからこそ、若者に語りたいのは、生活することや学ぶこと、人生そのものものをどう構想するか。
その構想力を持つことが大切だということです。


今の日本人には、明治維新で活躍した吉田松陰や坂本龍馬が持っていた、世界から日本を見る視点がない。
だから若者には、「地球儀を抱いて寝たほうがいい」とさえ思う。
10、20代で、さまざまなことに、徹底的に好奇心を持たなければいけない。
自分の時代と今の若者の生き方とは違いますが、感動のない人間がエネルギッシュに生きることはない。
生きている証しなんだから、日々感動しないと。
私は、生きることに闘ってきました。
生きるっていうことは面白いことなんです。


※※※


安藤さんは、過保護に育てられているとして「1980年以降に生まれた人たちはダメだ」と大学の講演などで発言しています。
気概があるのは高齢者ばかりで今の若者はダメ、高齢者が亡くなったあと日本は相当困るとも指摘しています。


今の50代以上の方々を見ていると、物凄い努力家だし、競争においては勝ちを必ず狙っています。
だから、今のゆるい思考が蔓延している社会に、イライラしているのではないでしょうか。


私はちょうど、闘う上の世代と、下の世代の間に生まれました。
だから、どちらの考えも理解できるけど、どちらとも一歩離れて接してしまう。
ある意味、孤立した世代でもあります。
理由は、「ウマ味を全く感じられない世代」だからです。
長々と解説しても、愚痴にしかならないのでやめておきます。
愚痴を言うより、体が満足に動く間に、前へ進む方法を考えてみたいと思います。

Posted by kanzaki at 2014年02月23日 17:11