2014年10月07日

犬も人も、きゅうくつな世の中になりましたよね

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明治の中期まで、日本に「飼い犬」は、ほとんどいませんでした。
町や村にたむろする犬は、飼い主のいない町犬、村犬(里犬)でした。
しかし、エサをもらって子供の遊び相手として、のびやかに暮らしていました。



江戸時代、「おかげ犬」が流行りました。
これは、病気や様々な都合により伊勢神宮への参詣へ行けない人に代わり、犬に代参させることです。


おかげ参りをしている犬である事がすぐ分かるよう、犬には御幣や注連縄が付けられたそうです。
お伊勢参りを「おかげ参り」とも言うので、伊勢神宮への代参犬は「おかげ犬」とも呼ばれます。


近所で伊勢参りに行くという人に自分の犬を預けて連れて行って貰ったり、道中で誰かが犬を連れて行ってくれる事を期待して、犬一匹だけで送り出される事もありました。
犬の首には道中のお金などがくくりつけられて送り出されました。


おかげ犬からお金を盗るような人はなく、人々の善意によって伊勢へと送り届けられていきました。



そして時は現代。
犬も人も、随分ときゅうくつな時代となりました。


犬がちょっと住宅街で吠えれば、すぐに町内会で問題になる。
そういや最近、犬に限らず、「おりこうなペット」は見ても、「元気なペット」を町でみかけませんね。


なにか問題が一件あると、それにあわせてルール(決まり事、規則、法律)を作る。
作って安心し、しばらく経って、それが本当に正しかったのか、検証をすることはありません。
増やすことはあったも、減らすことはありません。
理由は、ルールを作った張本人が、そのルールを実行しないから。


だから、ルールばかりが増えていきます。
がんじがらめな中で、犬も人も、自由はどんどん無くなっていきます。
一つの特殊事例のために、多くの人にとっては不便なルールって多いですよね。


「可能性」・「自由」という言葉は、選択肢の多さのある社会だと思うのです。
けれど、ルールがそれらの選択肢をどんどん潰しています。


分厚いルールブックを熟読するより、たった一つコツを覚えて、そこから応用していけばいい。
大抵は、ルールなんて大げさなものを作らなくても、人と人の間の「さじ加減」で、なんとでもなるのにね。


ムーミンに登場する私の師匠・スナフキンが、こんな事を言っています。


「長い旅行に必要なのは大きなカバンじゃなく、口ずさめる一つの歌さ」

Posted by kanzaki at 2014年10月07日 23:19