2015年01月05日

「嫌われる勇気」のまとめ(3)〜2014年、amazonで1番売れたベストセラー本。自己啓発の源流「アドラー」の教え

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前回の続きです。


●前回の記事: 「嫌われる勇気」のまとめ(2)〜2014年、amazonで1番売れたベストセラー本。自己啓発の源流「アドラー」の教え
http://kanzaki.sub.jp/archives/003260.html


「嫌われる勇気」とは、2014年にamazonで最も売れたビジネス実用本です。


●Amazon.co.jp: 嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え: 岸見 一郎, 古賀 史健: 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4478025819/


フロイト、ユングと並び「心理学の三大巨頭」と称される、アルフレッド・アドラー。
彼の思想(アドラー心理学)を青年と哲人の対話篇という物語形式でまとめたものです。
どうすれば人は幸せに生きることが出来るのかが書かれています。



【第5章:「いま、ここ」を真剣に生きる】


・あなたは無邪気な自分、ありのままの自分に自信を持てていない。
それは、ただ人前で出来ないだけ。
どうすればいいか。
やはり、共同体感覚です。
具体的には、自己への執着を他者への関心に切り替え、共同体感覚を持てるようになること。
そこで必要になるのが、「自己受容」と「他者信頼」、そして「他者貢献」の3つになります。


・「自己受容」
似たような言葉に、「自己肯定」があります。
自己肯定は、出来もしないのに「私は出来る」「私は強い」と、自らに嘘をつく生き方。
自己受容は、仮に出来ないのだとしたら、その「出来ない自分」をありのままに受け入れ、出来るようになるべく、前へ進んで行くことです。
自らに嘘をつくものではありません。
テストが60点だったら、そのまま60点と受け入れた上で、100点に近づくにはどうしたら良いのかを考えるのが自己受容です。
「肯定的なあきらめ」とも言う(あきらめ→明らかに見る)。
「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極め、変えられるものに注目するのです。
我々は何かの能力が足りないのではありません。
ただ、勇気が足りていない。
全ては、勇気の問題なのです。


・「他者信頼」
対人関係の基礎は「信用」ではなく「信頼」によって成立しているというのが、アドラー心理学の立場。
信頼とは、他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけない事です。
裏切るのか裏切らないのかを決めるのは、あなたではありません。他者の課題です。
あなたはただ「私はどうするか」だけを考えればいいのです。
信頼することを恐れていたら、結局は誰とも深い関係を築く事が出来ないのです。


・「他者貢献」
仲間である他者に対して、何らかの働きかけをしていく事。貢献しようとする事。
「私」を捨てて誰かに尽くすのではなく、むしろ「私」の価値を実感する為にこそ、なされるものなのです。
他者が私に何をしてくれるかではなく、私が他者に何を出来るかを考え、実践していきたいのです。


・人は「私は誰かの役に立てている」と思えた時だけ、自らの価値を実感する事が出来る。
しかし、そこでの貢献は、目に見える形でなくても構わない。
誰かの役に立てているという主観的な感覚「貢献感」があればそれでいい。
幸福とは、貢献感なのである。
承認欲求を通じて得られた貢献感には、自由がない。
他者からの承認は、いりません。


・「安直な優越性の追求」
特別によくあろうとする事も、あるいは特別に悪くあろうとする事も、目的は同じ。
他者の注目を集め、「普通」の状態から脱し、「特別な存在」になる事。
それだけを目的にしている。
なにかしら結果を残すには、一定の努力が必要。
しかし、「特別に悪くあろう」と問題行動に走る。
健全な努力を回避したまま、他者の注目を集めようとする事。
「復讐」と「安直な優越性の追求」は容易につながります。
相手を困らせながら、同時に特別であろうとしている(ex:子供の問題行動は、親への復讐)。


・「普通であることの勇気」
なぜ「特別」になる必要があるのか?
それは「普通の自分」が受け入れられないから。
だから「特別によくある」ことがくじかれた時、「特別に悪くある」ことへと極端な飛躍をしてしまうのです。
自己受容は、重要な一歩。
あなたが「普通である事の勇気」を持つ事が出来たなら、世界の見え方は一変します。
普通であることは、無能なのではありません。
わざわざ自らの優越性を誇示する必要などないのです。


・人生とは連続する刹那である。
チョークで引かれた実線を拡大してみると、線だと思っていたものが連続する小さな点である事が分かります。
線のように映る生は、点の連続であり、すなわち人生とは、連続する刹那なのです。
「今」という刹那の連続です。
我々は「今、ここ」にしか生きることが出来ない。
刹那の中にしか存在しない。
計画的な人生など、それが必要か不要かという以前に、不可能なのです。


・人生とは、今この瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那なのです。
バイオリニストになる事を夢見た人は、いつも目の前の楽曲だけを見て、この1曲、この1小節、この1音だけに集中していたのではないでしょうか。
司法試験→弁護士、執筆→作家、その道でダンスを踊ってきた人は、その道のプロになった人もいるでしょう(別の場所へたどり着いた人もいるでしょう)。
でも、いずれも生の「途上」で終わったわけではありません。
ダンスを踊っている「今、ここ」が充実していれば、それでいいのです。
目的地は存在しないのです。


・「キーネーシス的(動的)な人生」
一般的な考え。
目的地に到達せんとする人生。
目的地に辿り着く迄の道のりは、目的地に到達していないという意味において不完全であるという考え。
登山の目的が登頂することなら、ヘリコプターで山頂に向かい、5分滞在して、ヘリコプターで帰ればいい。
山頂に辿り着けなければ失敗。


・「エネルゲイア的(現実活動能的)な人生」
アドラー心理学の考え。
ダンスを踊るような人生。
「今なしつつある」事が、そのまま「なしてしまった」事であるような動き。
過程そのものを結果と見なすような動き。
目的が登頂ではなく、道中のすべてそのもの。


・「今、ここ」に強烈なスポットライトを当てよ。
人生全体に薄らぼんやりとした光を当てているからこそ、過去や未来が見えてしまう気になる。
もしも、「今、ここ」に強烈なスポットライトを当てていたら、過去も未来も見えなくなる。
「今、ここ」だけを真剣に生きるべきなのです。
過去にどんな事があったかなど、あなたの「今、ここ」になんの関係もないし、未来がどうであるかなど「今、ここ」で考える問題ではない。
「今、ここ」にスポットライトを当てるというのは、今出来る事を真剣かつ丁寧にやっていく事です。


・人生最大の嘘
大学に進みたいと思いながら、勉強しない。
これは「今、ここ」を真剣に生きていない態度。
受験はまだ先、どう勉強すればいいか分からない、面倒に感じるかもしれません。
しかし、毎日少しずつでもいいから、数式を解く。単語を覚える。
つまり、ダンスを踊る。
そうすると、そこは必ず「今日出来た事」が必ずあるはず。
今日という1日は、その為にあったのです。
決して遠い将来の受験の為に今日があるのではありません。
どこに到達したかの線を見るのではなく、刹那を見ていくのです。
目標など無くていいい。
「今、ここ」を真剣に生きること、それ自体がダンスなのです。
人生は常に完結している。
人生における最大の嘘、それは「今、ここ」を生きない事です。
過去も未来も存在しないのですから、今の話しをしましょう。
決めるのは、昨日でも明日でもありません。「今、ここ」です。


・無意味な人生に「意味」を与えよ
人生の意味・・・一般的な人生の意味はない。
人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ。
困難に見舞われた時にこそ前を見て、「これから何が出来るのか?」を考えるべきなのです。


・導きの星
アドラー心理学では、自由なる人生の大きな指針として「導きの星」というものを掲げます。
こちらの方向に向かって進んでいれば幸福があるのだという巨大な理想の事。
その星は「他者貢献」です。
他者に貢献するのだという導きの星さえ見失わなければ、迷うこともないし、なにをしてもいい。
嫌われる人には嫌われ、自由に生きて構わない。


・私の力は計り知れないほどに大きい
私が変われば世界は変わってしまう。
世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「私」によってしか変わりえないのです。
誰かが始めなければならない。
他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。
あなたは始めるべきだ。
他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。


・世界はシンプルであり、人生もまた同じである。


【おしまい】

Posted by kanzaki at 2015年01月05日 21:16