時代劇の人気キャラクターの一人である「宮本武蔵」。
60戦以上の真剣勝負は無敗です。
その戦い方は、ある意味「反則」です。
・巌流島での佐々木小次郎との対戦:
約束の時間から3時間遅れて登場。剣の戦いというより神経戦に持ち込む。
・松平出雲守の御前での戦い:
あいさつが始まる前に不意打ちで相手を倒す。
・門弟百余名を誇る吉岡清十郎&伝七郎兄弟との対戦:
二度とも約束の時間に遅れ、相手の平常心を奪って奇襲をかけた。
・怒った吉岡一門の弟子たちが大挙して果たし合いを申し込んできた:
定刻より早く出かけて待ち伏せし、背後から大将格の首をはねた。
あとは逃げて切り、切っては逃げの連続で、自分は傷ひとつ負わず全員を討ち倒した。
宮本武蔵に、きれいに勝つとか武士道の精神は無縁でした。
勝つためならなんでもありだったのです。
その強烈な個性が人気につながっているのだと思います。
そんな戦いに28歳まで明け暮れていました。
※
新潟県新潟市出身である小説家・坂口安吾。
エッセイ「堕落論」や小説「白痴」で一躍流行作家になりました。
角川文庫「堕落論」所収の「青春論」にて、宮本武蔵の剣法を賞賛しています。
「武蔵の剣法というものは、敵の気おくれを利用するばかりではなく、自分自身の気おくれまで利用して、逆にこれを武器に用いる剣法である。
溺れる者は藁をもつかむ、というさもしい弱点を逆に武器にまで高めて、これを利用して勝つ剣法なのだ。
武蔵はただ必死であり、必死の凝った一念が溺れる者の激しさで藁の奇蹟を追うているだけの話さ。
万全の計算をしつくし、一生の修行を賭けた上で、なお、計算や修行をはみだしてしまう必死の術策だから美しい」
坂口安吾によると、宮本武蔵には「いつでも死ねるという武士道の覚悟」が無かったらしい。
覚悟が無いから、それこそ悪相の限りをつくしたあげく編み出した独特の剣だったのです。
※
宮本武蔵は、「大阪夏の陣」で徳川側について武勲をあげましたが、褒章はありませんでした。
その後はパッとせず、未曾有の就職難でした。
手当として、3000万石という法外な額を要求する自尊心も、まわりにはウケがよくありません。
しかも悪人顔ゆえ、弟子として若い人がついてきません。
ようやく57歳で、肥後(熊本)の細川藩に迎えられました。
藩主・細川忠利より、「剣の極意をしたためよ」と命じられました。
それが後、「兵法三十五箇条」「五輪書」を書く際の備忘録となったのです。
「五輪書(ごりんのしょ)」は、剣による悟達の道を著したもの。
坂口安吾はそれに対して、こう指摘しています。
・武蔵の編み出した剣法は独特無比で、剣を棄てても他に道をひらくだけの芸もなく、生活の振り幅がない。
・「五輪書」には、個性の上に不術な術を築きあげた天才剣の光輝はすでにない。
極意書風にもったいぶった言葉を使ったり、わざわざ地水火風空のものものしい全5巻にしたり、ボンクラの本性を暴露しているにすぎない。
・殺人剣の道で歩きだしたのなら、その孤独な道を最後まで全うするべきだった。
そのうち誰かに負け、殺されてしまった方が、彼も救われたように思う。
鋭気の衰えてからの「五輪書」など下の下である。
(本田コンサルタント事務所代表の解説)
※※※
ダークサイドな強烈キャラは人気になりますよね。
一般的なイメージの巌流島対決は、吉川英治の小説『宮本武蔵』。
本当は、武蔵は遅刻してもいないし、相手が佐々木小次郎ではなかったらしいという説もあります。
宮本武蔵には、戦いの修羅場が似合います。
いつ負けて死んでもおかしくない。
相手を切ればよし、切られれば一巻のおわり。
手段も作法も関係ない。
そのギリギリの戦い模様が良いのでしょうね。
オリンピックを「五輪」といいますよね。
こう訳したのは読売新聞の川本信正記者です。
由来はこの「五輪書」からで、文字数が減らせることから他のマスコミにも普及しました。
2020年の東京オリンピックは、いろんな話題を振りまいていますが、建物やロゴデザインなどは、どうにも悪いイメージばかりですよね。
そんな変なところばかり宮本武蔵を真似なくても良いので、真摯に取り組む選手に光をあててもらいたいものです。
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