2017年02月22日

小説家・司馬遼太郎さんは、幼い頃から読書好き〜「司馬さんがある作品を書くと、関連分野の文献と資料が神田の古本屋街から消える」

小説家・司馬遼太郎さんは、幼い頃から読書好きでした。


中学校時代のこと。
授業中に先生に質問をしました。


「ニューヨークの名前の由来はなんですか?」


普段、あまり勉強もせず、先生と相性が良くないものですから、とても叱られてしまいました。


「地名に由来などない。お前はそんなことばかり考えているから、勉強ができないんだ」


放課後、司馬遼太郎少年(本名・福田定一)は、図書館へ行って調べてみました。
あった。
ちゃんと、名前の由来があったのです。


少年はふと、気づきました。


「そうか。本を読めばわかるんだ」


それからというもの、毎日放課後は図書館へ通うようになりました。
そして、古今東西あらゆる本を読みあさったのです。



高校になっても読書好きは変わりません。
ロシア文学や司馬遷の「史記」などを愛読しました。



戦後の混乱期、ようやく見つけた職が、小さな新聞社でした。
そこは、まもなく倒産。
次に、産経新聞へ入社しました。


新聞社の給料では、欲しい辞書も買えませんでした。
そこで、懸賞小説へ応募して入選しました。


後に、伊賀の忍者が秀吉の暗殺を企てる「梟の城」が直木賞受賞。
以後、新聞社を退社し、作家業に専念しました。


司馬遼太郎さんは、作品を書く際に調べる量がとにかくすごいのです。


「司馬さんがある作品を書くと、関連分野の文献と資料が神田の古本屋街から消える」


といわれるほど、小型トラックで膨大な量の文献と資料が大阪まで運ばれてきました。


※※※


膨大な資料を研鑽し、多くの正確な知識を身に着けた人は、やはり説得力のある仕事をしますよね。


司馬遼太郎さんは、最初からその作品に関する知識があったわけではありません。


有名な「竜馬がゆく」は、4年にも渡って産経新聞に連載されました。
実は当初、坂本龍馬にはあまり関心がなかったそうです。
しかし、資料を調べていくうちに、倒幕の武士の中にあって、その豊かな計画性に惹かれていったのです。


読書好きという下地があったからこそ、多くの大作を書ききることができたのでしょうね。


若い頃、私も読書が好きでした。
ある時を境に、「本」の匂いや埃などに、アレルギー反応を示すようになりました。
花粉症と同じような症状になるのです。
だから特に、図書館に古くからある書籍や、古本屋の書籍を読みにくくなったのです。


ところが、電子書籍端末「kindle」を購入してからは、そういうアレルギー反応とは無縁になりました。
また、目が悪くなって、細かい文字が読みにくくなったのですが、電子書籍は文字を拡大できるから助かります。
おかげで最近は、読書ばかりです。


歳をとってからの読書は、人生になにか影響をあたえるとか、生きる指針になるとか、そういうものとは関係ありません。
しかし、確実に自分の心に栄養が行き渡るのは実感できます。

Posted by kanzaki at 2017年02月22日 22:59