2019年08月05日

学生がいじめが原因で自殺するのは、学校がゆがんだコミュニティ空間だから〜ドラマ「おしん」のように、「辛抱」ではなく「逃げ」るのも勇気と才能

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学生がいじめで自殺するニュースを観るたびに、心が痛みます。


上記のコラムで一番注目したところがここです。


そして今、あの頃「コミュ力が高い」とされた振る舞いは、大人になればなんの役にも立たないことに気づく。

大人になれば、もっと本当の「コミュ力」が必要とされる場面に出くわす。

10代を生き延びた大人たちは伝えてほしい。
教室という狭い中での評価がすべてではないこと、そこが地雷原なら逃げていいことを。


まったくそのとおりです。
学生時代のあの閉鎖空間が特殊なのです。
本当にどうでもいいようなコミュニティ能力の優劣で、日々の生活が変わってしまう変なところでした。


いい歳にもなって、10代の狭い空間のコミュニティ能力だけを引きずって生きている人がいます。
会社で私に対して、「なんとも幼稚ないじめだなあ」という攻撃を仕掛けてくる人達の特徴が、まさにこれ。


20代の頃の私なら耐えられなかっただろうなあ。
しかし、この会社以外の広い世界であれこれ活動しているおかげで、まったくノーダメージで過ごせています。


相手に対し、「怒り」は沸いてこず、むしろ「哀れみ」を感じます。
「10代で調子よく過ごしちゃったせいで、そのまんまのノリで生きてきたんだなあ」と。
もっと広い視野で世の中を生きてみればいいのにと思います。


そして、攻撃してくる人もいれば、逆に手を差し伸べてくれる人もいます。
その方たちは、本当に朗らかな人格者でして、とても尊敬しています。
なんかまるで、ドラマ「おしん」みたいだ。


その広い世界だって、すべてが天国ってわけではありませんよ。
中には、面倒くさいのだってある。
それでも、ノーダメージでいられるのは、視野が広くなったからだと思います。


●伝説の朝ドラ「おしん」は、「辛抱」ではなく「逃げ」の天才少女の物語だった
https://dot.asahi.com/dot/2019061700072.html?page=1

ただ、そのぶん、学べるところは意外と少ないかもしれない。なにしろ、天才の物語だからだ。

しかし、大いに学べることがある。それは「辛抱」ではなく「逃げること」だ、じつはこのドラマにおいて、おしんはしばしば逃げることで活路を開くのである。

橋田は意識していなかったかもしれないが、辛抱だけを強調せず、ときには死中に活を求めることや退くこと、新天地に希望を見いだすことも大事だと教えているのである。
実際、おしんはその後も「逃げ」によって人生を切り拓いていく。

Posted by kanzaki at 2019年08月05日 23:00