もし、私が今年の新入社員に言葉を贈るならば、「スミレはただスミレのように咲けばよい」です。
元ネタは、天才数学者・岡 潔(おか きよし)の言葉です。
岡 潔(おか きよし、1901年〈明治34年〉4月19日 - 1978年〈昭和53年〉3月1日)は、日本の数学者。奈良女子大学名誉教授。理学博士(京都帝国大学、1940年〈昭和15年〉)。
●春宵十話 随筆集_数学者が綴る人生1 (光文社文庫) _ 岡 潔 _本 _ 通販 _ Amazon
「私は、人には表現法が一つあればよいと思っている。
それで、もし何事もなかったならば、私は私の日本的情緒を黙々とフランス語で論文に書き続ける以外、何もしなかったであろう。
私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えて来た。
私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているだけである。
そしてその喜びは「発見の喜び」にほかならない。」
※
ドラマにもなったぐらい、この先生はトリッキーで有名なのですが、「スミレはただスミレのように咲けばよい」という、とても情緒豊かで日本人らしい心を持っています。
これが芸術家や文豪ではなく、数学者というのが興味深いです。
冒頭の動画の中でこう語っています。
「日本人は自然とか人の世とかを自分の心の中にあると思っているらしい。
自然や人の世が喜ぶと自分が非常にうれしいというらしい。
芭蕉や万葉を読んでみると少しも自他対立してなくて、自分の心がそのまま外に嬉しいというふうに詠んでる。
『うちなびき 春来るらし 山の間の木ぬれの桜 咲き行く見れば』
バ〜っと春が来ているが、それがすなわち自分の生命だっていうふになる。
そう思って自分のやり方を見ると、数学を自分の心の中に取り入れて、そして心の中でその数学を見る。
そうすると心の中に入っている数学が、その一点に凝縮して形を現わしてくるというふうになる。
つまり日本人はものを心の中に入れて、そしてその自分の心を見るっていうふうなことが非常に上手なのに、今の人はどうも内を見る眼というのがあまり開いていないように思う。
日本人の本来の心を思い出してもらいたいな。」
※※※
人生って自分の足元を見て、きちっと積み上げていけばよいのかなと思います。
世の中に情報がたくさんあふれているし、多く目にするけれど、どんどん流してしまい心にとどまることはありません。
心にとどまらないということは、得た情報をどう考え、どう活かすかという「アウトプット」ができないということです。
いかに1000冊の本を読もうが、アウトプットしなければ意味がありません。
得たものを自分の言葉と考えで再構築するというのは、我々ネット世代には苦手なことです。
スミレの花言葉は、「謙虚」「誠実」「小さな幸せ」です。
人の評価に左右されず粛々と、自分らしいアウトプットをし続ければ良いのではないでしょうか。
そういう人を世間では、『自分を持っている人』というのでしょうね。
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