世界が縮んだ
●『半分生きて、半分死んでいる (PHP新書)』(養老 孟司 著)より
世界が縮んだなあ。
書き終えて、そう思う。
これが歳をとるということか。
興味の範囲が狭くなり、関心をもつ話題が減った。
関心自体も強くない。
以前だったら腹が立ったと思うことでも、そう腹も立たない。
世間とは、そんなものだ。
そう思えるようになったからであろう。
別に世間が間違っているわけではない。
間違っているのは、自分のほうかもしれない。
だけど世間と自分がズレていることだけは間違いない。
ひょっとすると、そのズレが、物書きになる原動力か、と思う。
世間からすれば、迷惑な話かもしれない。
※※※
いろんな意味で狭くなってきたことは実感します。
特に行動範囲が狭くなりました。
年齢のせいもありますし、コロナ禍というのも原因でしょう。
インターネットやSNSのおかげで、普段はそう感じません。
しかしふと、「これからどう生きていこうか?」と考えた際、「自分は何をやってきたのか?」「自分に何ができるのか?」が思いつきません。
それだけ行動範囲が狭く、経験が浅く薄いからでしょう。
動かないのだから、そこまでお金は使わないはず。
その割に、貯金は一向に貯まりません・・・。
仕事でオーバーフローしているから、これ以上なにもしたくないというのもあります。
だから、世間一般が流行っているモノや魅惑的なものに飛び込もうともしません。
さりとて、過去にやったことを再びやる気力もあまりありません。
本当に、「悪い意味」で「今だけを生きる」という感じです。
冒頭の書籍に、こんなことも書いてありました。
経済が好調なことを幸福と見なせば、「幸せな家庭は一様だが、不幸な家庭はそれぞれに不幸だ」ということになる。
現代は、至る所に落とし穴があり、簡単に不幸になりやすいです。
「そこそこ幸福」という感情があっても、それは「落とし穴」と「落とし穴」の間の隙間をかろうじて踏み渡っているだけのような気もします。
こんなんじゃ、気が休まりません。
多分、私は休みたいんだなあ、きっと。
そして、疲れが取れたら、飛び出したいのだろうなあ。
Posted by kanzaki at 2021年10月02日 07:00