2023年07月16日

イタリア民話「満ち足りた男のシャツ」

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●『河合隼雄の「幸福論」』(河合 隼雄 著)より)

昔話は一見荒唐無稽に見えても、なかなかの「民衆の知恵」のようなものを内包していることが多い。
そんなわけで、いろいろと昔話を読んでいると、いいのが見つかった。
イタロ・カルビーノ『イタリア民話集』(岩波文庫)のなかに「満ち足りた男のシャツ」というのがあった。
その話をまず紹介しよう。

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【要約】

王様が溺愛している王子は、いつも満たされぬ心をかかえていました。
そして、一日中ぼんやりと遠くを見つめていました。
王様は王子の為に色々な事を試したのですが駄目でした。

学者達に相談したところ、
「完全に満ち足りた心の男を探し出し、その男のシャツと王子のシャツを取り替えるとよい」
と言われました。

王様は「心の満ち足りた男」を探させます。
しかし、探せど見つかりません。

ある日、野原で歌を歌っている男の声があまりにも満ちたりていたので話しかけてみました。
都会に来れば厚くもてなすと言ったのですが、若者は今のままで満足だと断りました。

それでも王様はこれで王子が助かると思い、シャツを脱がせようとしました。

しかし男は、裸でシャツを着ていなかったのです・・・。

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この話は、私には結構面白かった。
満ち足りた男というので、まず聖職者が現われ、それも結構世俗的な出世欲をもっていることがばれてしまう。

つぎに、何でもかでも持っている王様が候補者になるが、「死」を恐れているために「満ち足りた」気持ちになれない。

最後のところで、何も持たない、シャツさえ着ていない男が「満ち足りた男」として登場する。
「満ち足りる」というときに、すぐわれわれが考えるのは、何か手に入れることの方だが、むしろ、何も持たない者こそ満ち足りていることを示す点が心憎い。
人生には面白いパラドックスがあって、昔話はそのようなことを語るのに向いているようだ。

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【コメント】

モノであふれた時代に、モノを捨てるという行為「断捨離」が広く認知されている現代。
モノよりコトを重視しようという風潮になってきています。
なんだか、それを予言するかのような昔話ですね。


モノで心を満たそうとすると、それに比例して部屋が倉庫化(汚部屋化)してしまいます。
それで満足なら、他人がどうのこうの言う必要もないし、そういうのもある意味憧れます。


歳を重ねて気力も無くなり、「物欲」が減退しました。
物欲って、結構なエネルギーなんだと最近思うようになりました。
そのエネルギーが少なくなっている私には、同年代でも未だに物欲のある人の活力は羨ましく思いますもの。


元々、モノは少ない(金が無くて買えない・・・)私ですが、最近は更に断捨離を決行中です。
ここでモノを処分しておかないと将来、本当に体力が無くなった際に、断捨離するのは不可能ですから。
断捨離も結構、心身のエネルギーを消費しますよ。


モノを減らし、必要最小限しか買わない。
部屋もすっきりした。
じゃあ、その後に何をするのか?
きっと、何もしないんじゃないですかね。
それが贅沢だと思いますから。

Posted by kanzaki at 2023年07月16日 09:24