●『[禅的]持たない生き方』(金嶽宗信 著)より
昔、薬師寺の高田好胤さんという有名なお坊さんが、
「最大の努力をするのに、最小の利益で納得できる人間を菩薩という」
と言っていました。
普通の人は、一をやって、十の評価を相手に求めます。
でも菩薩は、十個の努力に対してたった一つの評価でも、見ていてくれた人がいれば、それで満足できる。
人間もそのようになることが大事だというお話です。
私も、高田和尚の話に「なるほど」と思ったものです。
人間は、評価を得たいという「欲」を百%消し去ることはできないものです。
だったら、得られる評価は小さくてもいい。
でも、自分自身は最大限の努力をしてその評価を得る─そういうスタンスを持つことはとても大事です。
※※※
【コメント】
「最大の努力をするのに、最小の利益で納得できる人間を菩薩という」
生きていく上で、いかに「納得する」という行為を自然に出来るかが、大きな分かれ道なのですね。
確かに辛いこと・嫌なことでも、納得して行うかどうかで、取り組む姿勢は変わってきます。
私は年齢を重ねていく中で、やっぱり「納得する」という崇高な事は出来ず、いつの間にやら「どうでもいい」という心境に至っています。
「どうでもいい」と思っていく中で、少しでも良いこと・楽しいことが見いだせればラッキーという感じです。
他人に評価してもらわなくても構わない(低くても構わない)。
ずっと同じ生活が続けられることの有り難さを知っているので、高評価より、変わらないことの方が私には嬉しいのです。
そのせいか、生きていく中で「特別な日」とか「特別なイベント」みたいなものを楽しみにすることも無くなりました。
むしろ、毎日同じ平坦な波で生活することの方が楽しいと感じます。
(それが出来たという嬉しさを感じる)
この夏季休暇の過ごし方で確信しました。
自分が納得できていれば、そういう過ごし方も悪いものではありません。
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