2024年02月21日

現代の日本人が「一日」に触れる情報量は平安時代の「一生分」

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●『知足たる人生: 執着を手放して、賢くシンプルに生きる 幸せな生き方』(谷崎 玄明 著)より


現代の日本人が「一日」に触れる情報量が平安時代の「一生分」で、江戸時代の「一年分」であるとも言われています。


ちなみにこの情報は諺のようなもので、根拠も何もないので、すべてを「はい、そうですか」と受け入れるわけにもいきませんが、そう言われるくらいの情報量が常にわたしたちの周りにあるという実感はあると思います。


比べようがなくとも、現代においては情報が溢れています。
これが情報過多です。


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現代のように情報が溢れている時代に生きるわたしたちにとっては、いかに余計な情報に振り回されないかが大事になってきています。
これについてはブッダも述べています。


無益な語句を千たびかたるよりも、聞いて心の静まる有益な語句を一つ聞くほうがすぐれている。
無益な語句よりなる詩が千もあっても、聞いて心の静まる詩を一つ聴くほうがすぐれている。


『ダンマパダ』一〇〇、一〇一


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無益な語句は、無益な情報のことです。
あってもなくてもいずれにせよあなたの人生に何の影響も与えない情報は無益な情報です。
ブッダはここで「情報は量ではなくて質ですよ」と教えてくれているのです。


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【コメント】


「有益なもの」って、「たくさんの無益なもの」の中から偶に見つかるものであって、なかなか有益なものだけに100発100中で出会えるものではありません。
だから、常にアンテナをはっておく。


そして、そもそも「有益なモノ」って、それ単体で「有益」となっているわけではありません。


まず、「今の自分」が求めている時でなければいけません。
自分が求めていないときに目の前に差し出されても、スルーしてしまいます。


そして、有益なモノは単体ではなく、複数のモノが組み合わさって有益となることの方が多いです。
これとこれを組み合わせると便利という、化学反応が起きる。
そういう組み合わせは、自分が常にアンテナをはって意識していないと実現不可能です。


そういう意味では、情報・・・言い換えると「ゴミ」はたくさんあった方がいい。
分母が大きい方が、可能性は高くなりますから。


ゴミを漁るという汚くて情けない行為をしなければ、そうそう凄いことなんてできません。
綺麗な手では、何も生まれませんよ。

Posted by kanzaki at 2024年02月21日 07:02