2004年11月10日

映画「いま、会いにゆきます」を観て【3】

今回で最後です。

前回の記事:映画「いま、会いにゆきます」を観て【2】
http://kanzaki.sub.jp/archives/000441.html

小ネタは、まだ沢山あるけれど、そこら辺は置いといて、スタッフやキャストのご紹介等を織り交ぜた感想を書こうかと。

脚本を書いたのは、 岡田惠和さん。
有名な方ですよね。
「君の手がささやいている」「ビーチボーイズ」「ちゅらさん」他、多数を手がけています。
私の好きなのは、ドラマでは「ちゅらさん」、映画ならば「スペーストラベラーズ」でしょうか。
この方の作品は、コミカルな中に重いテーマを散りばめているから、涙が止まらなくなるんです。
「ちゅらさん」は、あのお堅いNHKの朝ドラ枠とは思えない程の暴走っぶり。
かといって、これを受け入れられる民放も無いでしょう。
そういや過去に、エヴァンゲリオンで有名になったガイナックス製作の「不思議の海のナディア」というアニメがありましたが、あれも「ちゅらさん」同様に暴走しまくっていた作品でしたね(けれど、熱さと感動に満ちた最強の作品)。
こういうのを受け入れられるNHKの懐の深さには拍手ですよ。
「ちゅらさん」はコメディー要素がふんだんに盛り込んでいる脚本のおかげで、演出の方もかなり楽しいものとなっていました。
けれど、歴代の朝ドラを超える温かさと感動・・・もう何度、涙を流したか分かりませんよ。
命を扱ったドラマは沢山あったけれど、これほど命というものを一つ一つ大切に描いたものもありません。
リアルタイムで観ていなかったのですが、今年に入って全巻レンタルして観ました。
NHKの朝ドラで全話視聴したのは、後にも先にも、この作品だけだと思います。

「ちゅらさん」関連で、神ナナで書いたのは以下の記事です。

calling
http://kanzaki.sub.jp/archives/000252.html

乗り越えるべき壁
http://kanzaki.sub.jp/archives/000253.html


岡田さんが「いま、会いにゆきます」について書いたメッセージが下記にありました。

http://www.ima-ai.com/interview/okada_msg.html

このメッセージの中に
「呼んでたんですよ、私を。本が。って勝手に思ってるのですけど、書店での本との出会いってそういうのないですか?読んでくれって本が呼んでるような気がして買ってしまう、っていうような感じ。」
とあるのですが、この作品は既に、岡田さんに脚本を書いてもらうように運命(英語で”calling”、神様が呼んでいる)が決まっていたのかもしれませんね。
「澪が消えたあとの巧にとって何より嬉しくてせつないのは、どれだけ澪が自分を愛してくれていたかがわかるってことですよね」
「そして原作と同じように私たちがめざした幸福感の残る作品になっていると思います」
・・・上記の言葉からも分かるように、岡田さんを含め、スタッフとキャストは、ただのお涙頂戴物語を描いただけではありませんでした。
よくこの作品は、「セカチュー」「黄泉がえり」と比較されますが、これらの作品とは着地点が違うのだと思います。
過去の作品との大きな違いは、宣伝でうたっているほど、死や悲しみを全面に押し出していないことだと思うのです。
普通、お別れをしたら悲しみに打ちひしがれ、じょじょにその感情が落ち着いて、日常の生活に戻っていく・・・ある意味、思い出は思い出として残すけれど、それは心の片隅にしまいこむような形です。
しかし、「今、会いに〜」は、そのお別れがあった後、雫は未来に巻き起こる自分の運命を受け入れて強く生きるし、成長した息子は母親から教えてもらった目玉焼きを作ったり、ちゃんと家事をこなし、母親の願い通りのしっかりした子に育っている。
巧は、妻の愛情を常に感じて、楽しく朗らかに生活している。
6週間のアノ出来事は、三人とも思い出という金庫にしまい込むのではなく、その時の出来事がベースになって日々を暮らしているのです。
だから、死や別れをテーマにしていても、幸福感に満ちたラストに着地できたんでしょうね。
原作ものを脚本化するのは、他の人が感じる以上にプレッシャーがあるでしょう。
でも、そのプレッシャーを跳ね返すぐらい素敵な脚本を描いてくれました。

主人公の雫を演じた竹内結子さんは、劇中で「妻としての雫」「母親としての雫」「女としての雫」の全てを演じきりました(なんかこの表現、エヴァに出てきたマギシステムを思い出す・・・)。

「母親としての雫」
・・・これは6週間を過ごし、息子との別れが近づき、自分がいなくなっても家事等を教える姿。
最初は記憶が無くなっているし、そもそも自分は20歳の時代からタイムスリップしたのだから、まだ息子を産んだ訳ではない。
三人の生活は、ある意味、雫にとっては「擬似家族」みたいなものです。
けれど、夫と息子の優しさに触れ、じょじょに表情も豊かになり、ごく普通の家族として生活できた。
そして、自分の運命を知って、「今、自分がやらなければいけない事」を悟る。
その中には、息子へ家事全般を教えること等がある。
無理な部分もあるけれど、限られた時間の中では、その無理もやらなければいけない。
そして、祐司との別れのシーン。
「素敵な大人になってね」と泣きながら抱きしめる姿。
その、別れたくないけれど別れなければいけないという感情の入った姿は、まさに母親の表情でした。

「女としての雫」
・・・一番、的確に表現していたのは、喫茶店にて、巧の同僚の女性に「巧と祐司を頼みます」と云うシーンじゃないでしょうか。
頼んだのだけれど、やはり最愛の巧が他の人を愛するのは嫌だと感情をあらわにします。
こういう、どうしようも無く溢れてくる感情というのは、女性独特のものですよね。
巧の同僚役は、市川実日子さんが演じています。
私のお気に入り。
巧に恋愛感情があるのですが、なかなか踏み切れない役柄です。
今回は感情を抑えた、大人しい感じです。
でも、とても良い人だと云うのが滲み出ていました。
そんなに多く登場する訳ではありませんが、なんだかこの人物も幸せになって欲しいと思わせるものがありました。

一番難しかったのは、「妻としての雫」でないでしょうか。
なぜなら、28歳の時代へタイムスリップした雫は、記憶を失っているし、いきなり目の前に、自分の旦那と息子だと云う二人が現われるのですから。
既に環境が整っており、自分だけがその設定を知らないで放り投げられたのです。
妻という立場に、自分の心が落ち着くまでの過程が、ゆっくりと竹内さんの演技であらわされていました。

他にもこの作品は、色々と魅力が満載でした。
ここで語りきれないほど。

ビデオがレンタルされたら、またゆっくりと、この世界に浸ってみようと思います。

Posted by kanzaki at 2004年11月10日 12:27 | トラックバック (0)