2006年10月02日

今年一番のお勧め邦画・劇場用アニメ「時をかける少女」の感想

昨日は「映画の日」。
レイトショーの時間を待たずとも安く映画を見られると云う事で、映画館へ足を運びました。
鑑賞した作品は劇場用アニメ「時をかける少女」。

小規模上映ながら非常に評判が高く、ネットや口コミの効果によって、公開から12週間も経過した今なお、その人気に衰える気配がありません。

wikiによりますと、この人気に配給会社の角川ヘラルド映画は急遽上映館を増やすなどの異例の対策をとり、上映用のフィルムの数が十数本しかないため、上映が終わった館で使っていたフィルムを次の上映館へと使いまわす方式で順次公開しているそうです。

そして先日の土曜日より、我が新潟市でもついに劇場公開となりました。

●公式サイト
http://www.kadokawa.co.jp/tokikake/

●公式ブログ
http://www.kadokawa.co.jp/blog/tokikake/

●時をかける少女 (アニメ映画) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E3%82%92%E3%81%8B%E3%81%91%E3%82%8B%E5%B0%91%E5%A5%B3_(%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E6%98%A0%E7%94%BB)

●時をかける少女 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E3%82%92%E3%81%8B%E3%81%91%E3%82%8B%E5%B0%91%E5%A5%B3

このタイミングでの上映開始で何が嬉しいって、劇場にて鑑賞した人達へ無料で「特製ポストカード」がプレゼントされることです。

●参照:「時をかける少女」公式ブログ: ロングラン12週!、特製ポストカードをプレゼントだそうです
http://www.kadokawa.co.jp/blog/tokikake/2006/09/post_109.php

mobile Newtypeの特製ポストカードを10月1日(日)から配布開始したそうで、正に私が鑑賞したその当日だったのです。
事前にその事を知らずに行ったので、もらえた時は嬉しかったですね。
どんな絵柄かは公式ブログを参照してください。
まさに、この映画を象徴する素敵なカードです。
ちなみにこのポストカード、表の宛先を書く面は、できたら映画本編を鑑賞し終わってから見た方がいいかもしれません(理由は、映画を見れば分かります。公式ブログに掲載されているポストカードの宛先面も上手く隠していますね)。

本当は当日、「スケバン刑事」を見ようと思っていたのですが、東映直営店である「Tジョイ」と云う映画館で何故か公開されておらず、観るためには少し遠い映画館へ行かなければなりませんでした。
そこまでの気力は無かったので、近所の映画館で公開されている作品をネットでチェックしていたら、本当に偶然に「時をかける少女」が新潟市で公開開始した事を知り、そのまま直行した次第です。
結果は、非常に満足の行く作品でした。

いつもならば、神ナナで映画の批評をする際、ネタバレ全開で書くのですが、この作品は是非とも皆さんに劇場で見て欲しいと思っているので、ネタバレ無しで感想を書いていこうかと思います。

* * *

今年は「筒井康隆イヤー」と云っても過言ではない年になっています。
昨年ドラマ化された「富豪刑事」は、今年もテレビ朝日系列で続編をオンエア。
劇場公開中の映画「日本沈没」の公式パロディ(?)「日本以外全部沈没」も映画化。
そして、あまりにも有名な作品「時をかける少女」の復活。

「時をかける少女」の映像化は過去、色んな形でされてきましたが、やはり1983年の原田知世さん主演映画のイメージが一番強いですよね。
有名な映画はパロディを作られるのが世の定め。
工藤夕貴さん出演で、ハウス食品の袋麺「303」のコマーシャルにおいて「お湯をかける少女」なんて云うのをやっていましたね(しかも主題歌の替え歌まで使用)。
私は、1994年にフジテレビにて内田有紀さんが主演された連続ドラマ版も好きでした。
妹役で安室奈美恵さんが出ていたり、筒井先生も住職役を演じていました。
NOKKOさんの主題歌「人魚」がまた、いいんですよねえ。
後に安室奈美恵さんがこの曲をカバーしました。
2002年の安倍なつみさんが演じた単発オムニバスドラマ版は、尺が短いせいで今ひとつだったような気がします(そつなく、まとめてはいましたが、世界観・空気・匂いにオリジナリティが感じられませんでした)。

いずれも実写でリメイクしてしまうと、原田知世さん主演バージョンと比較してしまい、評価もなかなかのびません。
そんな中、今回のアニメーション版は、「実写」ではなく「アニメ」と云う形を採用し、ストーリーも「リメイク」ではなく「原作の約20年後を舞台にした続編」にしました。
そのお陰で、原田知世さんのイメージに縛られること無く、タイムトラベル(劇中では、タイムリープと云う単語を使用)の設定、そして普通の10代の子たちの純粋な一面を描写しています。

アニメと云う媒体を使ったのは正解だったと思います。
この作品は、現在よりもほんの少し前にタイムリープして、自分が不本意だった結果の元を修正し、ほんの少し先の未来の結果がどんどんと変わっていく所が面白いところ。
つまり、同じ場面を少しずつ変化させながら繰り返し繰り返し行動するのです。
実写だと、同じ場面を少しずつ変化させて撮影するのは大変です。
屋外での撮影の場合、同じシーンなのに、撮影した日が変わってしまうと天候が微妙に違ったり・役者のコンディションも変わってくる。
けれどアニメの場合、全く同じ環境を作り出し、意図的に少しずつ変化を付けることが容易に出来ます。
繰り返しの連続の場合、登場人物達の行動等を全て製作側の思惑通りにできるアニメの方が有利かもしれません。
勿論、実写には実写の良さがあり、そういった思惑とは全く違った行動を役者がしてしまい、それが良い方向へ向かうときもあります。
以前、トップランナーと云う番組で「エヴァンゲリオン」の監督で知られる庵野秀明さんが語られていました。

●神崎のナナメ読み: 庵野秀明 in トップランナー【7】
http://kanzaki.sub.jp/archives/000280.html

武田「実写とアニメの両方を監督してみて、多分、アニメの監督の魅力の再確認もあったと思うんですが、実写との違い? それぞれの目線からの違いを教えていただければと・・・」

庵野「アニメの場合は最初に、確固としたイメージありきなんですよ。自分の頭の中にあるイメージを可能な限り、映像に置き換えるというんだったら、今の日本においてアニメーションをやるのがベストだと思うんですよ。実写はそうじゃないんです。現場に行ったら雨が降っている・・・でも今日、これ撮らなきゃいけないという時に、台本は晴れと書いているので雨じゃどうしようもない・・・けど、雨でなんとかしなきゃいけないという・・・イメージ通りにまったく行かないんですね。最初に、エヴァンゲリオンの映画の中に実写のパートを入れた時、それを思い知ったんですね。イメージ通りに何一つ出来ないんだと。その時は凄く嫌だったんですけれど、後になれば、これはアニメじゃない部分でいいかもと。ラブ&ポップの時は、出来るだけアニメとは違うやり方をしようと。アニメのどこまでも思い通りに描ける映像ではなく、外的要因によって、どういうものになるか、さっばり分からない実写がひどく面白く感じたんですね。アニメには、ミステイクっていうものはないんですけれど・・・テイク1しかないんです。テイク1をリテイクする事はあっても、映像としては1テイクしかないんですよ。実写の場合は、2キャメあれば、2つ素材が存在するんで、その編集の時にいじれるというのも実写の魅力ですね。編集したときに初めて全体像が見えてくる。アニメの場合は、絵コンテを描いた時に全体像が見えちゃうんですよ」

今回の場合、製作者の頭の中にあるイメージを可能な限り映像に置き換えるのが重要なので、アニメで正解なんでしょう。

脚本は奥寺佐渡子さんと云う女性が書いています。
今回の作品、細田守監督の手腕は勿論ですが、脚本家の力量も相当なものです。
映画「学校の怪談」「魔界転生」「天使」など、現実とはちょっとかけ離れたストーリーの脚本を担当されてきました。
しかし今回は、日常描写・誰でも体験しそうなエピソードをもの凄くリアルに女性の視線で書いていますね。
そういう「女性の視線」的な描写・台詞をいたるところで感じました。

例えば、消火器を肩にぶつけた女の子が保健室で治療しているところに、津田功介という男子学生がやってくるシーン。
津田がその女の子の怪我を見るときの二人の台詞のやりとりが、物凄くリアル。
台詞のみなのですが、「男を意識した時の女の子」の描写が凄い。ある意味エロい。

後半、主人公・紺野真琴が理科実験室において、友人にある決意・本心を話した時の友人の態度・台詞。
こちらも友情とか恋愛とか、そういうお互いのピュアな面が垣間見える一方、「ピュア=残酷」な面も示しています。

どちらも、男が書いた脚本だと、その微妙な心の動きとそれに反応する動作・言動の詰めに甘さが出てしまいます。
女の子がお約束どおりの行動になってしまって、「男にとって都合の良い喋る人形」になってしまいがちです。
やはり恋愛モノのストーリーで、女の子の心理描写をリアルに描けるのは同姓じゃないといけないのかもしれません。

この映画は、細田守監督作品。
「誰?」と思っている人もいるかも。
東映アニメ「デジモンアドベンチャー」「ONE PIECE」の映画監督などをしていました。
一番有名(?)なのは、スタジオジブリへ出向した際に「ハウルの動く城」の監督をした事でしょう。
しかし、諸般の事情で宮崎駿監督へ交代。
もし細田監督の手で完成していたら、今とは違う形で名をはせていたかもしれません。
出来ればタイムリープして、その場合の結果を見てみたい。
現在は東映アニメーションを退社してフリーに。
そして今回の作品がフリー第一作となります。
今作の雰囲気・絵柄は、どことなくスタジオジブリっぽい感があります。
やはり経歴に理由があるのでしょうか?(美術のスタッフのせいもありますが)
しかしある意味、今のスタジオジブリの作風よりもスタジオジブリっぽいのは、何たる皮肉。
今作をみて私は、スタジオジブリの「耳をすませば」を思い起こしました。
ほらあの、♪カントリ〜ロ〜ドの作品ですよ。

●耳をすませば - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%B3%E3%82%92%E3%81%99%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%81%B0

アニメ「時をかける少女」はSF作品ではありますが、そのSF的な設定はあくまでも「エッセンス」でしか無いと思います。
誰しもが一度は思う「あ〜、あの時、あーすれば良かった。あの時にもう一度戻ってやりなおしたいなあ」と云う願望を実現させる為、SF的なエッセンスを利用したにすぎません。
エッセンスとして割り切って使えたからこそ、原作や実写映画版に使われた重要な設定「ラベンダーの香り」を排除できたのだと思います。
そしてその代わり、タイムリープには回数制限があると云う新しい設定を加えました。
この回数制限と云う新設定が、今作に重要な意味合いを持たせます。
特に、「タイムリープ残り一回を誰の為、何の為に使うのか?」が重要でして、その選択した結果がとても主人公のキャラクターを生き生きとさせています。

今回の作品で大事なのは、ごく普通に生きてきた人間が、特殊な能力を使って人生のシナリオをどんなに変えることが出来るようになっても、所詮、その人生を繰り返している自分自身が変わらない限り、自分が最も望んだ結果になんてなる訳が無いと云うことだと思いました。

その自分自身の心の変化は、SF的な設定によって変化するのではなく、誰もが経験する「相手への思いやり」「恋する心」がそうさせるのです。

そんな誰しもが共感できる心の変化を実写映画と同じぐらいに丁寧に描いているからこそ、この映画を見た人達は大絶賛するのでしょうね。

こういう心理描写は、アニメだから省略してもいい訳ではなく、むしろ二次元の絵をあたかも現実世界の人間のように動かすには、実写映画以上に慎重に描かないと、正に絵空事になってしまいます。

この映画、劇場公開が終わった地域の人もいるでしょうし、公開されない地域の人もいるでしょう。
レンタルが開始されてからでもいいし、テレビで放映されてからでも構いません。
是非、この映画を見ていただければと思います。

Posted by kanzaki at 2006年10月02日 23:35