2009年05月24日

悪党・悪女の便利なユーモアレトリック(言い回し)

同じ内容を伝えるにしても言い方一つで、人は味方にもなれば敵にもなります。
雑誌「PRESIDENT」にて、古今の大物エピソード、東西の文学作品を例にして書いてありました。
以下、一部を抜粋、要約したものです。

(1)自分が失敗した時

・西郷隆盛は「そうでごわすか。それはぜひ、私も教えを請いたい」と、間違いに気付くや素直に頭を下げた。

・米原万里(エッセイスト、ロシア語の同時通訳士)は、代表作「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」の中に誤訳が含まれていた事を指摘された。
米原は礼状を書き送った。
「お手紙ありがとうございます。心から感謝し、感激の気持ちでいっぱいです」
丁寧に礼を述べ、反省したうえで改訂版では、指摘された部分の差し替えを申し出た。
このやりとりは文庫版の巻末に掲載され、誤訳を指摘した人はもちろん、一般の読者も米原の誠実な人柄に魅了され、ファン層も広まったことであろう。


(2)取引先へ苦言を呈する時

・芥川龍之介は「侏儒の言葉」の中で「木に緑(よ)って魚を求むる論法」として、こんなレトリックを紹介している。
悲劇として書かれた小説を「幸福、愉快、軽妙等を欠いている」と難じて貶(おとし)める。
悲劇なのに喜劇の要素が無いと言って攻撃するのだ。
木に魚はならない。
つまり、ないものねだり。
しかも意識してそれをやるのだから詭弁である。
ところが、攻撃された側は冷静でいられない。
一時的にせよ「そうか、俺の小説は確かに暗いな」と落ち込む。
劇薬的な心理テクニックだ。


(3)相手に要求を飲ませる時

バルザックの小説「ペール・ゴリオ」にはヴォートランという悪党が登場する。
この男は、社交界でのし上がることを夢見る青年をそそのかし、資産を持つ娘を誘惑させる。
以下、その時の台詞。

「君はたしかに、若くて色男で、繊細で、ライオンみたいに誇り高くって、若い娘のように優しい。
悪魔からしてみると、なんともおいしそうな御馳走だ。
おれは若者のそんなところが大好きだ。
ただ、あと高等政治の考察を二、三学んでほしい。
そうなりゃ、世の中をありのままに見ることができるようになる」

誰にもある自尊心。
これを踏みにじると、明智光秀を侮辱したために悲劇な最後を閉じた織田信長のようになる。
逆に自尊心をうまくくすぐれば、相手をコントロールできる。

・不倫相手がなかなか会ってくれない時、ヴォートラン並みの悪女ならば「明日までに会ってくれなければ、お宅へうかがって奥さんと話しをさせてもらいます」と脅すだろう。
そして結局は「来週会って話しましょう」と譲歩する。
男は安堵して「来週会おう」と答えるだろう。

・中国の商人は物を売る時、最初は法外な値段をつけておき、それでは買えないと言われたら序々に言い値を下げていく。
客の方は、得をしたような気持ちで買わされるのだ。


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上記で書かれているものの中には、相手を物理的に攻撃せず、精神的に陥れるものもありますね。
あまり感心はしませんが・・・。

人は一人で生きているわけではありません。
また、相手を陥れるような事をしている人は大抵、他の人から同じようにされるものです(もしくは、その人の周りから人が遠のいていく)。

やはり、言い回しに気をつかう理由は、相手との良好な関係を保つ為であるべきでしょうね。

言い回しを考えても、素人の我々では有効に使うのは難しいものです。
そんな時は、言い回しを変えるのではなく、いつもの言葉の前に「クッションワード」を入れてみましょう。


●神崎のナナメ読み: 断り上手の決めゼリフ〜クッションワード
http://kanzaki.sub.jp/archives/001345.html


例えば、万能なクッションワード「恐れ入りますが」「申し訳ございませんが」「恐縮ですが」などは、謝る、反対する時、どんな場面でも使えます。

言葉そのものだけではなく、表情や身振り手振り、口調などによっても相手の心情は変わってきます。
やはり最終的には、「相手を思う誠意」なんでしょうねえ。

iimawashi01.JPG


古い路地裏を通ろうとしたら、いつもの奴に睨まれました。
通行料をよこせと言っているのでしょうか?
けれどほら、「猫に小判」と言いますし・・・。

Posted by kanzaki at 2009年05月24日 01:39