2009年06月14日

金よう夜きらっと新潟「まなざし あたたかく 〜アニメーター近藤喜文〜」〜ジブリ作品『耳をすませば』の監督【2】

(20090615更新:一番下の写真を変更)
前回の続きです。

●前回の記事: 金よう夜きらっと新潟「まなざし あたたかく 〜アニメーター近藤喜文〜」〜ジブリ作品『耳をすませば』の監督【1】
http://kanzaki.sub.jp/archives/001878.html

東京三鷹市にあるジブリ美術館
ここに、近藤さんが最後に問いかけた最後の作品の原画が残されています。
1995年に公開された「耳をすませば」です。
(番組では、近藤さんが描いた絵コンテ等を映し出しています)
この作品で近藤さんが長年描きたかったものが実現します。

舞台は自身の職場があった東京の蹟桜ヶ丘をモデルにしています。
主人公は15歳の少女・月島雫。
ある日、バイオリン職人を目指す同級生・天沢聖司と出会います。
小説家という夢を持っていた雫は彼に影響を受け、小説を書きはじめます。
自分には才能があるのかという不安や、受験への焦り。
周りの優しい眼差しに見守られながら雫は成長していきます。

雫の劇中の台詞
「私、背伸びしてよかった。
自分を前より分かったから。
私、もっと勉強する。
だから高校へも行こうって決めたの」

近藤喜文さんの弟・近藤重喜さんは、この映画に託したメッセージを何度も聞いていました。

近藤重喜
「結局今って、成果が出ないと評価してくれないじゃないですか。
社会、会社でもそうですけど。
けどそこにいてくれるだけで、もうそれでいいんだと言う・・・悩んでも迷ってもいいんだよって言う応援歌。
迷っても、悩んでも、苦しんでも、それはそれでもう正しい事。
それでそれをちゃんと一人っきりじゃないから、みんな誰かが見てくれている・・・って言う事をやっぱり思っていたんじゃないかなあって思うんだけれど(笑顔)」

映画の中に近藤さんの想いが詰まった歌があります。

●耳をすませば〜地球屋での「カントリーロード」

♪ひとりぼっち 恐れずに生きようと 夢見てた さみしさ 押し込めて 強い自分を 守っていこ カントリー・ロード この道 ずっとゆけば〜・・・

最初の一歩を踏み出す強い気持ち。
近藤さんはこの歌に、高校卒業後スケッチブックを手に東京行きの電車に乗った自分自身の勇気を重ね合わせました。

近藤さんの想いは今も受け継がれています。
母校の五泉小学校です。
毎朝、カントリーロードを歌っています。

五年生は今年から道徳の授業で近藤さんの事を学んでいます。
(画面では、先生が本物のセル画(魔女の宅急便等)を子供達に見せています)
作品を辿りながら近藤さんが伝えたかった想いを考えます。

担任の佐藤将臣さん。
学生の頃、「耳をすませば」で励まされたと言います。

道徳の授業で生徒達は一人ひとり、夢を語ります。

佐藤先生から生徒へ授業の際の言葉
「特別な力を持っていなくても、誰にでも自分の夢に向かって進める勇気があるんですよ。チャンスがあるんだよ・・・って言う事を伝えたかったのかもしれません」

「耳をすませば」の公開から三年。
近藤さんは次の作品に着手します。
しかし、近藤さんは解離性大動脈瘤に倒れます。

画面は、近藤さんが病床で描いた38枚のスケッチが映し出されています。

夏休み、お姉ちゃんの後を追って一目散に自転車を漕ぐ妹のはつらつとした気持ち。
住宅街の空き地で、黄色いタンポポの花を見つけた子供達の驚き。
自分達だけの秘密基地を見つけた胸の高鳴り。

1998年1月21日、47歳の若さで他界しました。
温かな眼差しは最後の時まで子供達へと向けられていました。

以上でおしまい。


スケッチの数々の絵を見て、私は不覚にも泣いてしまいました。
見ているだけで、近藤さんの優しさが伝わってきたからだと思います。
本当に惜しい人を亡くしました。
スタジオジブリは近藤さんの死によって実質的な後継者を失い、今もなお後継者の選定・育成に苦しんでいます。

金曜ロードショーでは大抵、これから数ヶ月の間、ジブリ作品をオンエアする事が多くなります。
できれば「耳をすませば」をオンエアして欲しいですねえ。
そして欲を言えば、ほんの2、3分だけでいいから、近藤さんについての解説をしてもらいたいです。
きっと以前に見た時とはまた違う形で見られると思います。

countryroad01.JPG

上記は本日、撮影してきた写真。
前回に撮影した時と違って、今では周りの木々に沢山の葉が茂っていますね。
気候の穏やかさのせいなのか、何となく被写体の妖精の表情が、以前にもまして明るく感じますね。

Posted by kanzaki at 2009年06月14日 20:50