世の中、大抵のマナー間違いは、「まあ、知らなかったんだから」で許されます。
けれど時には、間違ってはいけないものもあります。
「余命わずか」と医師から告知を受けた方へのお見舞い。
これはとても難しいものです(日経より)。
余命わずかの方へ、お見舞いのお金を渡すときは、白い封筒に入れて「御見舞」と書きなさいという人がいます。
これは間違いです。
赤白の水引の付いた通常の見舞い用の包みでよいのです。
水引やのしは、おめでたい贈り物に付けるのではなく、人に物を送る時の体裁なのです。
※
近しい人の余命を知ると心穏やかではいられません。
何度もお見舞いに行きたくなるものですが、本人が告知を受けていない場合、あまり頻繁に見舞いに行くと、本人を不安な気持ちにさせてしまい、難しいところです。
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告知を受けている場合でも本人の前で悲しい顔は避けましょう。
悲しがると、本人を困らせてしまいます。
悲しい気持ちをできるだけ抑え、自然に振る舞うよう努め、心の中でお別れをすることが大切です。
※
余命わずかな方でも、病状が軽い場合でも、お見舞いは「回復を祈ります」「あなたの事を心配しています」との気持ちを表現するものです。
何より、相手を思う気持ちが大事です。
義理や体裁で行くお見舞いは、気持ちがこもっていないことが自然と相手に伝わるものです。
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最近は入院期間が短い傾向にあります。
お見舞いのタイミングを逃すこともあります。
その場合、「退院おめでとう。今度ごちそうするね」などと伝え、快気祝いをしてあげると喜ばれます。
※※※
人の生き死にというのは、普段は気にしないものです。
それゆえ突然、そういう事を目の当たりにすると、人はどう対応したらいいかなんて分かりませんよね。
例えばお通夜へ行った際、どう声をかけたらいいか分からず、大抵は、何度もお辞儀をするだけになってしまいます。
ドラマじゃないんだから、気の利いた言葉なんて言えるものじゃないし。
けれど、できればご遺族へ、何度もお辞儀をしない方が良いと思います。
その度に、親族の方々は、礼返しをしなければいけないからです。
体力、精神面から気を遣わせてしまうのはよしましょう。
デリケートな場面は、相手への思いやりを特に大切にしたいものです。
※
恥ずかしい話しなのですが、私はお通夜などで、お亡くなりになった方の顔を見ることができません。
幼少時に父が他界。
しかも、遠くの海での死だったので、私のところへ父が戻ってきた時には、既に小さな箱の中でした。
死という瞬間も見てないし、その後の過程にも立ち会っていない。
そのせいなのか、「死」と「灰」の間を良くわかっていないというか、受け止められないというか、とにかくいまだに駄目なのです。
昔より人口が増えているのだから、お葬式の数も多いはずなのに、近所で見ることはありません。
以前と違って、自宅ではなく、セレモニーホールで行うようになったからです。
お葬式の参列者の数が減り、一人がお葬式に参列する機会も減りました。
また、家族だけの葬儀「家族葬」が定着しました。
火葬場直行の「直葬(ちょくそう)」も急増しています。
一生、一人で暮らす人も増えているので、ますますお葬式という、「死」とか「お別れ」という事に触れる機会が少なくなるでしょう。
だからといって、感情を無くしたわけではありません。
生き死にという場面だけではなく、普段から思いやりの気持ちで暮らしたいものですね。
●関連記事:お見舞いをする時のマナーとは?
http://kanzaki.sub.jp/archives/002993.html
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