2009年12月26日

外山滋比古さんの「思考の整理学」〜東大・京大で一番読まれた本【2・すてる】

引き続き、外山滋比古(とやま しげひこ)さんの著書「思考の整理学」について書きます。

今回は「すてる」の項目。
神崎にとって「捨てる」は、30歳になってから特に意識したテーマです。
元来、コレクター体質であった私ですが、ある時を境にとことん捨ててしまう体質に変化しました。
その辺のことは後述するとして、まずは外山滋比古さんの考えをまとめてみたいと思います。


外山さん曰く、
「たえず、在庫の知識を再点検して、すこしずつ慎重に、臨時的なものをすてて行く。やがて不易の知識のみが残るようになれば、そのときの知識は、それ自体が力になりうるはずである」
との事。

知識は多ければ多いほど良いのですが、一定の限度を越すと、飽和状態に達してしまいます。
その後はいくら増やそうと思っても流失してしまいますし、そもそも、その問題に対する好奇心が薄れ、知識欲も低下します。

収穫逓減の法則(しゅうかくていげんのほうそく)というものがあります。


●収穫逓減 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8E%E7%A9%AB%E9%80%93%E6%B8%9B

収穫逓減(しゅうかくていげん、英: Diminishing returns)は、経済学用語であり、収穫逓減の法則とも呼ばれる。固定および可変の入力(例えば工場規模と労働者数)のある生産システムで、可変入力がある点を過ぎると、入力の増加が出力の増加に結びつかなくなっていく。逆に製品をより多く生産するのにかかるコストは増大していく。これを相対費用逓増の法則(law of increasing relative cost)あるいは機会費用逓増の法則(law of increasing opportunity cost)とも呼ぶ。表面上は完全に経済的概念だが、収穫逓減はテクノロジ的関係も暗示している。収穫逓減の法則は、企業の短期限界費用曲線が結局は増大することを示している。


これは知識の習得についても見られる現象です。
はじめは勉強をすればするほど知識の量も増大して効率があがるのですが、かなり精通してくると、壁につきあたります。
もう学ぶべきものがそれほど無くなり、はじめの頃のような新鮮な好奇心も失われてしまいます。

何十年も一つのことに打ち込んでいるからと言って、その割にめざましい成果を上げているかというとそうでもない。
これこそまさに、収穫逓減なのです。

一定のところまで行ったら(マラソンの折り返し地点)、知識を増やすだけではなく、不要なものはどんどん捨ててしまおうと言っています。

捨ててしまう、忘れてしまうことによって、思考に活力をもたらすことができるからです。
問題は、いったん習得した知識をいかにして捨て、整理するか。


・幾つかの項目に整理する。分類しないと大切なものまで捨ててしまうので危険。

・整理にはじっくりと時間をかける。


整理・捨てるには、その人間の個性による再吟味が必要。
没個性的に知識を吸収するより厄介です。
けれども、そういう作業をする事が、得た知識を本人の知識・力へ変換するのに必要なんでしょうね。

この本には、現代のビジネス書のような、より具体的・実践的なハウツーが記載されているわけではありません。
その一歩前の概念的なもの、心構えが記載されているだけです。
それ故に、時代を超えて普遍的な内容になっているから、今の時代であっても売れるのでしょうね。

外山さんの「捨てる」という考えは、読んでみるに学者の観点だと思います。
大学やその学問の世界で有効な手段。
これはそのまま現代のビジネスや日常生活へ適用するには、更なる手段の立案が必要になってくるかと思います。

幸いなことに現代はインターネットという通信分野での発達がめざましく、手元に該当する資料がなくても検索したり、遠方(若しくは一度もあったことも無い人)の見識者へ問い合せることも簡単になりました。

だから、自分の手元に沢山の資料を置く必要はあまり無くなりました。
学者や先生ならば分かりませんが、私が仕事で使う法律について言えば、手元にある資料は時間とともに陳腐化してしまい、実務に適さなくなります。
また、本当に必要な知識・情報に限って、レアな内容であり、とても自分の持っている知識、資料では対応出来なかったりします。
そういう事に関しては、見識者へお金という対価を払って調べています。

日本人は形のあるものに対してはお金を払いますが、他人の有益な知識に対してお金を払うという概念が薄いように思います。
弁護士に質問するにしても、時間単位で金銭の支払をすることに驚く人がいます。
また、電化製品等の故障に対して業者が現地へ赴き、部品交換無しに復旧した場合、「部品交換をしていないのだから、お金なんて払わん。サービスしろ」と言う人もいます。

姿形の見えないものに対して対価を支払わない、価値を見いださない癖に、一方で宗教には盲目的にどんどんお金をつぎ込む人がいる・・・・・・不思議と言えば不思議。

私は、自分の仕事に必要な資料、そして自宅にあるモノは、基本的に必要最低限にしています。
それこそ、どんどん捨ててしまいます。
姿形に対して有益かどうかを考えているのではなく、その中身に対して有益かどうかを考えているからこそ、簡単に捨てられるのだと思います。

書かれている中身が必要ならば、極力、テキスト化・データ化してパソコンで見られるようにしています。
情報をパソコン上で扱えるように変換することによって、物理的に邪魔にはなりませんし、何よりも検索能力が飛躍的に増大します。
また、コピー(バックアップ)も容易なので、有益な情報の消失を回避しやすい。

テキスト化するのが手間ならば、デジカメのマクロ撮影で記録してしまいます。
そのJPG画像のタイトルを検索の際に分かりやすくしておけば、後で有益になります。

アナログな情報をデジタルに変換する手間が面倒ならば、最初からデジタルで記録する癖をつけておくのが良いのでしょうね。
私はそうしていますし、極力、パートナー達とその上方を共有できるようにしています。

捨てるという行為は、特にビジネスの世界では判断に困ることも出てくると思います。
本人は捨てて良いと思ったのに、会社的には実は必要だったなんて事もあるかも。
それ故、かさばらないデータ化にして、更に共有できるサーバーに突っ込んでおけば良いと思います。

以上のような作業をすることによって、その情報の価値の再認識や、知識の整理になります。
また、二次利用、他人との情報共有も楽です。

私はモノを持たない主義ですが、知的好奇心を否定している訳ではありません。
職場と自宅をゴミ屋敷にしたくないだけ。

本も以前ならば手元に置いておきたい派でしたが、殆ど捨ててしまい、今は図書館が自分の本棚と考えています。
マイカーを捨てたので、タクシーやその他の公共機関が自分のマイカーだと考えています。
そんな感じで、外山さんの言う「知識」の捨てる行為だけではなく、色んなものを捨てています。

維持するのに精神やお金を使う事で消耗したくありません。
今の時代、所有がステータスではありませんしね。


次回へ続きます。


●外山滋比古さんの「思考の整理学」〜東大・京大で一番読まれた本【1・つんどく法】
http://kanzaki.sub.jp/archives/001986.html

●外山滋比古さんの「思考の整理学」〜東大・京大で一番読まれた本【2・すてる】
http://kanzaki.sub.jp/archives/001987.html

●外山滋比古さんの「思考の整理学」〜東大・京大で一番読まれた本【3・とにかく書いてみる】
http://kanzaki.sub.jp/archives/001989.html

●外山滋比古さんの「思考の整理学」〜東大・京大で一番読まれた本【4・コンピューター】
http://kanzaki.sub.jp/archives/001991.html

Posted by kanzaki at 2009年12月26日 17:37