2009年12月30日

外山滋比古さんの「思考の整理学」〜東大・京大で一番読まれた本【4・コンピューター】

引き続き、外山滋比古(とやま しげひこ)さんの著書「思考の整理学」について書きます。

この本が出版されたのは1986年という、非常に大昔。
それなのに既に、現在の我々とコンピューターとの関係を既に予言しているのが凄いです。

当時、知的活動の中心は、記憶と再生にありました。
大事なことを覚え、必要なときに思い出し、引き出す能力を少しでも多く持っている人間が優秀とされました。

しかし、記憶と再生の人間的価値がゆらぐ出来事がありました。
それは、コンピューターの出現です。

コンピューターは計算だけではなく、人間の頭脳の働きに近づきだしました。
人間にしか出来ないとされていた記憶と再生の機能をコンピューターはいとも簡単にこなしてしまったのです。

当初、人々は感心をするばかりでしたが、そうもいかなくなりました。
人間とは何なのかと反省をはじめたのです。
我々は一生懸命勉強をして、コンピューターのようになるようになることを目指していたのでしょうか?
しかし、どんな優秀な人だとしても、記憶と再生についてコンピューターにかなうことが出来ません。

コンピューターという優秀な記憶装置の出現により、これまでの人間教育が急に間の抜けたようなものに見え出しました。

人間は機械を発明して、これに労働を肩代わりさせました。
ある意味、人間は自分の作り出した機械に仕事を奪われる歴史の繰り返しとも言えます。

機械に仕事を奪われた人間は、機械には手のでない事務仕事を主な働き場所としてみつけ、サラリーマンが生まれました。
じょじょにその事務仕事が複雑になり、沢山の事務員が必要になりました。

産業革命当時、機械が工場から大量の人間を追い出しましたが、今度はコンピューターの出現により、その事務という聖域がつぶれようとしています。
この著書が発刊されてから数十年。
21世紀の現在、コンピューターとインターネット無しでは、事務仕事は成立しないと言ってもよいでしょう。

学校教育は、記憶と再生を中心とした知的訓練の場でした。
しかし、実際に社会へ出てみると、その知的訓練の成果はいかほどの効果があったか?
私自身、学校で習ったことが実務に活かされているとは正直思えません。
記憶せずとも有用な情報をコンピューターとインターネットを使って得ることが容易になった今、どれぐらいの知識があるかより、いかに的確な検索能力があるかの方が大切なような気がします。
勿論、その得た情報を自分のものとして有効活用できなければ話しにはなりませんが、ベースとなる知識を既に入手しているだけに、話しをまとめ上げるのは以前ほど難しくはありません。

外山さんは、「本当の人間を育てる教育ということ自体が、創造的である」と言っています。
赤ん坊にものごころをつける、強いスポーツ選手を育てるのも創造的なこと。
芸術や学問だけではなく、セールスや商売もコンピューターではできないところが多いです。
人間らしく生きていくことは、人間にしかできない。
それは優れて創造的、独創的。
コンピューターが現れて、これから人間はどう変化していくであろうか、それを洞察するのは人間。
これこそまさに独創的思考・・・・・・そう、著書に書かれていました。

著者が執筆した頃は、既にコンピューターはあったでしょうが、インターネットという概念はまだ無かったかもしれません。
よもやこの10年で、インターネット上の情報量の増大、メール・SNS・Twitter等によるコミュニティ等は予想出来なかったでしょう。

コンピューターを使って理詰めで仕事を遂行することは予想できたとしても、人々がコンピューターや携帯電話等を使って、インターネットの世界でコミュニケーションを深々と行うようになる・・・・・・しかも、ごく普通の人達が当たり前のように行うとは予想できなかったと思います。

ここまでコンピューターやインターネットが浸透したけれど、果たして独創的な思考は養われたのでしょうかね?
自分自身もそうですが、独創的な面では進歩していないように思えるのです。
容易に情報の取得やコミュニティが出来たり、仕事上の処理も正確に素早く行われたけれど、それは既に世の中にある器の中での出来事であり、それを飛び出すほどの威力を誰も得ようとは思っていないと思う。

そもそも著者の言う「独創的」とは何なのでしょうか?
日本はデフレスパイラルにより、萎縮を続けています。
経済の世界もそうですが、我々人間の心もデフレスパイラルに陥っているように感じます(そもそもデフレと人間の心理は繋がっていますしね)。

コンピューターやインターネットにより、距離的・時間的制約がなくなったのに、心は萎縮を続けている。
普通は逆の効果が期待できるのにね。
そういう意味では、著者が期待する独創的思考は現実化しなかったと思います。

今まで無かった考えや志により、既存の器を打ち破るのも素晴らしい。
著者はそれを期待していたのでしょうが、人々はそれほど、そういう志は持ち合わせていませんでした。

むしろ、今ある環境に居心地の良さを感じてしまったのです。
私はそれでも良いのかなと思います。
新しいものを得るというよりも、これだけべき乗に増大した情報やモノ、考えを取捨選択する事で、自分の人生を幸せにするのも良い手だと思うのです。

人間は幾ら美味しいものが食べたいと言っても100人前を一度に食べられない。
人が幾ら大きい豪邸に住みたいと言っても、寝るときは一畳分で足りる。

いつも私が書いているように、「足るを知る」という言葉が、大事になるのではないかと思うのです。
取捨選択・過剰に抱え込まない。
「生む」のでなく「捨てる」という行為。
案外、この行為も独創的な思考が必要なのかもしれません。

●外山滋比古さんの「思考の整理学」〜東大・京大で一番読まれた本【1・つんどく法】
http://kanzaki.sub.jp/archives/001986.html

●外山滋比古さんの「思考の整理学」〜東大・京大で一番読まれた本【2・すてる】
http://kanzaki.sub.jp/archives/001987.html

●外山滋比古さんの「思考の整理学」〜東大・京大で一番読まれた本【3・とにかく書いてみる】
http://kanzaki.sub.jp/archives/001989.html

●外山滋比古さんの「思考の整理学」〜東大・京大で一番読まれた本【4・コンピューター】
http://kanzaki.sub.jp/archives/001991.html

Posted by kanzaki at 2009年12月30日 22:46