2014年02月10日

豊臣秀吉の足軽たちの物凄い足の速さの秘密は「走りメシ」


(軍師黒田官兵衛いなければ秀吉の天下はなかった!大河ドラマネタバレ - YouTube)


NHK大河ドラマの主人公・黒田官兵衛。
彼は豊臣秀吉のもとで活躍した軍師です。
今回は、豊臣秀吉軍団にまつわる食事のお話しです。
(食文化史研究家・永山久夫さんの解説)



【足軽は物凄く足が速い】


戦闘の主力部隊である下級武士・足軽は、ものすごい身体能力でした。
特に、長時間走っても、びくともしません。


特に、秀吉軍団の足軽は凄かったそうです。
彼れは実によく走るのです。


天正11年(1583年)、織田信長の跡目相続をめぐる柴田勝家との戦いがありました。
有名な「賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦」です。


●賤ヶ岳の戦い - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%A4%E3%83%B6%E5%B2%B3%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84


有利に軍を進めていた柴田軍の前線部隊が、秀吉軍の重要拠点である賤ヶ岳一帯を占領しました。
それを知った時点で、大垣(岐阜県)にいた秀吉の行動は、敵が天魔かと恐れられるほどの速さでした。


大垣から賤ヶ岳までは52キロあります。
この道程を、わずか5時間で疾走しているのです。


あまりの速さに敵は腰を抜かし、戦意喪失。
勝家は、北ノ庄城で自害しました。


勝利の背景にあったのは、まずは秀吉軍の作戦のうまさ。
そして、足軽の戦意をかき立て、走らせながらメシを食わせるという方法です。



【走りメシの為の準備】


先遣隊を出し、街道筋の家々に命じ、松明(たいまつ)と握り飯を用意させ、総勢1万5千人の部隊を走らせました。


特に米は、市場の倍の値で買い取らせた為、家々では競って炊き出しに協力しました。


握り飯には、すべて味噌が塗ってあったそうです。
赤飯を炊いて握り飯にした集落もありました。
短時間のうちに、実に念入りに準備させたのです。
「中国大返し(ちゅうごくおおがえし)」でも同じような作戦がとられています。


●中国大返し - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%A4%A7%E8%BF%94%E3%81%97


あらかじめ沿道に松明を点け、さらに食事の補給箇所も用意するという、実によく考えられたものです。



【栄養もちゃんと考えられています】


赤飯の小豆(あずき)にはビタミンB1が多く、疲れがたまりません。


生味噌には消化酵素が多いので、少々食べ過ぎても消化吸収がよく、走るためのスタミナ維持に役立ちます。


戦国時代の兵法書には、
「味噌が切れれば、米なきよりくたびれるものなり」
と記されています。


各武将は、味噌の製法を研究し、おのおのの土地に適した陣中味噌を編み出しました。


※※※


うむ。
今で言うところのマラソン大会の運営みたいなものかな?
フルマラソンを走るランナーの為にエイドステーションを設け、水や食料を配給し、完走するのを支援するような感じでしょうか。


今の時代ならば、走る前に必須アミノ酸の入ったアミノバイタル等を飲んでコンディションを整える事ができます。
エイドステーションでは、スポーツドリンク、バナナ、パン、チョコ、おにぎり等で栄養補給もできます。


昔はそんなものはありませんが、味噌や小豆などで似たような事をしていたのですね。
陣中味噌が、それぞれオリジナルの栄養補助剤になっていたのかな。



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Posted by kanzaki at 2014年02月10日 23:51