2012年01月24日

「奈良茶飯」が評判の江戸は、B級グルメ社会〜使っても無くならない「幸せ」に価値を見出す

食文化研究家・永山久夫さんは、「江戸は、B級グルメ社会」と語っています。

【江戸っ子の価値観】

江戸は火事が多い町でした。
火事にあえば、全てを失ってしまいます。
だから人々は、お金を貯めず、綺麗に使ってしまう気質がありました。

「宵越しの銭は持たねぇ」

貧乏暮らしが当たり前と決めれば、この世は楽しいことばかり。
所得が少ない人達は、長屋暮らし。
彼らはお互い様と支え合う気持ちが強く、笑い声に溢れて幸せでした。

お金で買えるモノは、使えば無くなります。
火事が起これば、やはり焼けて無くなる。

けれど「幸せ」はモノと違い、使っても無くなりません。
江戸っ子は、使っても無くならないものに価値を見出していました。

美味しいものや珍しいもの。
評判になっているものに新しいもの。
初ものを口に出来た時の悦び。

現代的に言えば、江戸は「B級グルメ社会」です。
それで十分に幸せだったし、その笑顔が見たくて、職人も新しい味を生む努力をしました。

【江戸で流行った奈良茶飯】

江戸っ子のグルメ四天王は、
「握り寿司」
「天麩羅」
「鰻の蒲焼き」
「蕎麦」
です。

今では、
「スシ」
「テンプラ」
「カバヤキ」
「ソバ」
として国際語になっています。

欧州にレストランが出来たのは1765年の事です(フランス)。
そして、江戸に料理屋が出来たのは、1657(明歴3)年。
日本は約100年も早かったんですね。

その年の正月、「振袖火事」として有名な大火が起きました。
町の3分の2が消失しました。

復旧の為、各地から職人や労働者がやってきました。
彼らを相手に、煮売屋がたくさん出来ました。

その時、浅草に現れたのが「奈良茶飯屋」です。

naracha01.jpg

●奈良茶飯 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E8%8C%B6%E9%A3%AF

奈良茶飯(ならちゃめし)とは、炊き込みご飯の一種で、奈良県の各地の郷土料理。
江戸時代の川崎宿の名物料理だった。
少量の米に炒った大豆や小豆、焼いた栗、粟など保存の利く穀物や季節の野菜を加え、塩や醤油で味付けした煎茶やほうじ茶で炊き込んだものである。
しじみの味噌汁が付くこともある。
栄養バランスにも優れ、江戸時代に川崎宿にあった茶屋「万年屋」の名物となった。
十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』に万年屋および奈良茶飯が登場したことで一層有名となり、万年屋は江戸時代後期には大名が昼食に立ち寄るほどの人気を博したと言う。

●神崎のナナメ読み: 奈良茶飯(ならちゃめし)とは?〜江戸時代、食通のご隠居さんたちが好んだ長寿食
http://kanzaki.sub.jp/archives/002368.html

当時、江戸時代の風俗、事物を説明した「守貞謾稿(もりさだまんこう)」にも、この料理が紹介されています。

「江戸中はしはしより、是を食いに行かんとて、ことの外珍しき事とて面白がる」

奇抜なものに興味を示し、それを幸せに感じるのが江戸っ子グルメなのです。


※※※

今は、閉塞感で覆われた時代です。

バブルの頃までは右肩上がりの成長時代ですから、便利なモノ・高級なモノが飛ぶように売れました。
しかし今は、「若者の○○離れ」と言われる時代。
今まで賞賛されていたものの価値が低くなりつつあります。

若者のテレビ離れ、若者のクルマ離れ、若者の新聞離れ、若者の読書離れ、若者の映画離れ、若者の酒離れ、若者のセックス離れ、若者のおでんにからし離れ、若者の寿司にわさび離れ・・・(なんか後半、違う方向ですが)。

これは何も20代、30代だけじゃありません。
その上の世代でも同じです。
・・・と言いますか、私自身もそうです。

根本的理由は、「お金が無いから」です。
不況が生活や考え、価値を変えました。
各メディアは、原因について様々なゴタクを並べますが、これが真実だと思います。
少なくとも私自身はそうです。

どうせ買えないのだから、諦めるには「無関心」になるのが手っ取り早い。
「すっぱい葡萄の理論」です。

●すっぱい葡萄 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%A3%E3%81%B1%E3%81%84%E8%91%A1%E8%90%84

手に入れたくてたまらないのに、人・物・地位・階級など、努力しても手が届かない対象がある場合、その対象を価値がない・低級で自分にふさわしくないものとみてあきらめ、心の平安を得る。フロイトの心理学では防衛機制・合理化の例とする。また、英語圏で「Sour Grapes」は「負け惜しみ」を意味する熟語である。

今、「断捨離(だんしゃり)」が流行っています。

断=入ってくる要らない物を断つ
捨=家にずっとある要らない物を捨てる
離=物への執着から離れる

「すっぱい葡萄」はネガティブな感じですが、「断捨離」は積極的にモノへの執着をやめる考えです。
「モノが沢山溢れている部屋」に満足していた昔の価値観から、「モノとモノとの間に空間がある部屋」に価値を見出すようになったのです。

モノが無くても幸せになれる。
その過去の事例が、ちゃんと江戸時代にあったんですね。
歴史は一回りして、江戸時代の価値観が見直され始めているのかもしれません。

そういや私も含めて、ジョギングやマラソンをされる方が増えましたよね。
健康志向という面だけでは無いと思います。
モノを買って得られる満足度・達成感より、己の体力向上・日々の練習で積み重ね上げられた満足度・達成感の方が、価値があると感じる人が増えたからだと思います。

「モノより思い出」というキャッチコピーのクルマのCMがありましたが、その通りの世の中になってきているのでしょうね。

【関連記事】

●神崎のナナメ読み: 江戸しぐさ「三脱の教え」とは?〜初対面の人に「年齢」「職業」「地位」を聞かないこと
http://kanzaki.sub.jp/archives/002300.html

●神崎のナナメ読み: 江戸しぐさ「有り難うしぐさ」〜「ありがとう」という言葉が一番好きです
http://kanzaki.sub.jp/archives/002301.html

Posted by kanzaki at 2012年01月24日 22:33